鎗ヶ崎わんこ通信 2016年2月

▲昨日も今日も渡っている。
▲昨日も今日も渡っている。

2016年2月29日(月)

♪~When you’re weary feelin’ small, When tears are in your eyes, I’ll dry them all~♪

サイモン&ガーファンクルの1970年に全米ヒットチャートで6週連続1位となったヒット曲「明日に架ける橋」。

基本的に「ながら族」なので、好きな歌は、歌詞が良いというよりは、楽器の音色やメロディ、リズムで、好き嫌いの判断をしています。その時のシチュエーションや気分感情も大事。

毎年TBS系列で、クリスマスの夜に放映される音楽番組で、ポール・サイモンの曲が数曲演奏されました。前に、ここで紹介した「Old Friends」も。そこで、ポール・サイモンがキャロル・キングに「あなたのように良い歌詞が書けない」と吐露されたことがあったそうです。

当時の私は、「確かに良い歌には違いない。でも、なんで、こんな人生を真面目に語る曲が万人に受け入れられたのか」と不思議な気持ちがしていました。同じ傾向の曲に、ジェームステイラーの「君の友だち」や、ビートルズの「レット・イット・ビー」がありますね。

遠い過去の記憶が、ふとしたきっかけで突然蘇ります。古い曲の歌詞も、何十年もたってから、「あぁ、こういうことなのか」と人生になぞらえて考えてしまう傾向が強くなりました。年のせいかも。じゃあ、またね。


▲願い事は、何?
▲願い事は、何?

2016年2月17日(水)

♪~たばこを吸いながら、いつでもつまらなそうに、タバコを吸いながらいつでも部屋に一人~♪と言えば、RCサクセションの「僕の好きな先生」(1972年にアルバム「初期のRCサクセション」からシングルカット)です。清潔で、木の香りに満ちたトーリの治療室とは無縁の歌詞ですが、青春の1ページということで、お許し下さい。

リーダーの忌野清志郎さん(1951年東京生まれ、2009年死去)は、中学の友だちと「ザ・クローバー」(The Clover)という名のバンドを最初に結成しました。高校(東京都の多摩地区にある都立日野高等学校です)でメンバーが一部変わり、バンド名も「RCサクセション」(The Remainders of the Clover succession)となりました。ギターとボーカルの仲井戸麗市さんは当初「さなえちゃん」で有名になった古井戸というフォーク・デュオにいましたが、1976年にバンドに参加し、以降のRCが確立されることになります。

メディアに大々的に登場してきたのは、坂本龍一さんとのデュエット「い・け・な・い ルージュマジック」(1982年、資生堂の春のキャンペーン曲に採用されました)でしたが、個人的には、矢野顕子さんとのデュエット曲「ひとつだけ」のほんわかしたリズムと歌詞がお気に入りです。

♪~欲しいものはたくさんあるの、きらめく星くずの指輪、寄せる波で組み立てた椅子、世界中の花集めつくるオーデコロン、けれども今気がついたこと、とっても大切なこと、欲しいものはただひとつだけ、あなたの心の白い扉ひらく鍵~♪

「僕の好きな先生」とは、当時の美術の先生ですが(よって職員室にはほとんどいない…)、美術鑑賞でスライドの説明をしている時に騒いだ生徒に、暗闇の中で、「そこ、うるさい!」と言って、チョークを飛ばしていました。変なことを思い出しました。じゃあ、またね。


▲梅が咲いていたよ。
▲梅が咲いていたよ。

2016年2月16日(火)

♪~Lie to me, and tell me everything is all right, Lie to me, and tell me that you’ll stay here tonight.~♪

天才ジャズ・ギタリストで、かつ、ボーカルのジョニ―・ラング(1981年アメリカ生まれ)の「Lie To Me」です。12歳の時に初めてギターを手にして、1997年に16歳にしてアルバムでデビューした時のタイトル曲です。ビルボード誌のブルース・チャートで1位と、華々しいデビューを飾りました。天は二物を与えずとは言うけれど、この道を運命づけられたと言っても過言ではない人が稀にいるものです。年季の入った(?)しわがれた声と泣きのギター・フレーズ…最初に聞いた時に、一度で記憶に残り、さらに、「十代でデビュー!?」と二度びっくり。

しゃがれた声でシャウトするアーティストと言えば、「風に吹かれて」(1963年)のボブ・ディラン(1941年アメリカ生まれ)ですが、実は1枚しかアルバムを持っていません(2009年の「Together Through Life」)。何といってもポップス中心の音楽歴でしたから。

日本のアーティストでいうと、「ダンシング・オールナイト」(1980年)のもんたよしのり(1951年兵庫県生まれ)や、「悲しい色やね」(1982年)の上田正樹(1949年京都府生まれ)、そしてRCの忌野清志郎(1951年東京都生まれ、2009年死去)が思い出されます。

ブルースにしても、ソウルにしても、R&Bにしても、それなりの喜怒哀楽を経てから聞くものだという固定観念だったのかも知れません。これから。これから。じゃあ、またね。


▲みんな、何処へ行ったの?
▲みんな、何処へ行ったの?

2016年2月15日(月)

1960年代後半にイギリスを端とするプログレッシブ・ロック(通称プログレ)。

前衛、先進、実験などと訳されていますが、それまでの固定的な「これぞロック」から、様々な他のジャンル(クラシックやジャズ)からヒントを得た多様なつくりの一連の流れを指し、ロックにおけるルネッサンスのようなものだったのでしょう。

高校の時に、音楽の先生が、ピンク・フロイド(1965年にイギリスで結成)のアルバム「原子心母」(1970年)を授業中に鑑賞してくれたことがありました。表題曲「原子心母」は6つのパートに分かれる約23分にわたる組曲で、クラシカルなインストゥル・ナンバーでした。いつもは途中で強烈な睡魔に襲われるのですが、最後まで聞き逃すまいと、しっかり聞いていました。

プログレは、キング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシスと続き、アメリカでもカンサス、ボストン、ジャーニーへと受け継がれていきました。

日本でも、四人囃子やゴダイゴなど当時としては前衛的な曲づくりをしていて、友達にも熱狂的なファンがいました。

現代の視点から振り返ると、要はクロスオーバーということになるでしょう。いずれにしても、クラシックやジャズなど、古典的な分野を消化しつつ、新たな味付けをすると言う点で、やはり基礎がなければ、「すごい!」とうことにはならないのであり、ぽっと出にはできない話です。じゃあ、またね。