●鎗ヶ崎(やりがさき)わんこ通信

 

鎗ヶ崎は、taulliのあるヒルズ代官山のすぐ目の前の交差点の名前です。

 

日々のできごと、季節の移り変わりなど、感じたこと、思うことを、助手のわんこ(JoshといとこのPeter)がお送りします。

鎗ヶ崎わんこ通信 2014〜2015年

▲「ねぇ、聞いてる?」
▲「ねぇ、聞いてる?」

2015年12月23日(水)

♪~I love you whether or not you love me. I love you even if you think that I don't.~♪

愛についての禅問答のような歌詞。この曲は、1955年イギリス生まれのハワード・ジョーンズによる、1984年のヒット曲「What Is Love?」です。

アメリカのポップスに埋れるように生きてきたので、他の国のアーティストは、イギリス発のエルトン・ジョンとローリング・ストーンズとビートルズ以外は(彼らだけで十分に巨人なのですが)、あまり触れていません。

でも、UKサウンドは、季節の変わり目などに、突然聞きたくなります。雨の時期に、外に出たくない、「一人にして」といった気持ちを代弁してくれるからかしら。

冒頭のハワード・ジョーンズ、スティング、ギルバート・オサリバン、エルヴィス・コステロ、そしてロッド・スチュワートと並べてみると、「一代で名を成した」個性的な男性ボーカルが続きます。まぁ、ベストテンにはいるようなアーティストは、そうでもしないと過酷なショービジネスの世界に生き残ることはできないということもあるのでしょう。

先日の○HKの「ファミリーヒストリー」は、噺家さんの三代にわたるお話でした。お師匠さんは何も教えてくれない、所作のダメ出し、話につっかえると罵倒、鉄拳…。お客さんが笑ってくれることはギャグでも物まねでも何でもやってみる、といった厳しい世界でした。どうしても先代と比べられるプレッシャーに向き合い、食らいついていくのでした。

変化にピンで対応し続けるショービズと、変わらないことを何代も守り続ける伝統芸能は、正反対の世界のようですが、どちらも率直に「すごい」と感じます。

深い部分に愛があり、そこに磁石のように引き付けられるからかなぁ。じゃあ、またね。


▲冬の散歩道。
▲冬の散歩道。

2015年12月20日(日)

♪~Old friends, old friends, Sat on their park bench like bookends~♪

サイモン&ガーファンクル(1964年デビューのアメリカのフォーク・デュオ)の1968年発表の「Bookends」(1968年)に収められた「Old Friends」です。このアルバムは、前半が人生をテーマとした連作、後半が「ミセス・ロビンソン」や「冬の散歩道」などのヒット曲集となっています。その中に「At the Zoo」という曲も入っていて、それぞれ聞いていると、公園や動物園に行きたくなります。

今日は、天気が良かったので、電車に乗って北の丸公園まで散歩に行きました。

爆風スランプ(1984年デビュー)のサンプラザ中野さんが「玉ねぎ」と歌った日本武道館を通り過ぎると、池の周りの芝生で、真っ黄色となったイチョウの大木の下で小さな子供たちを遊ばせて、ファインダーを覗く親がいました。その横を続く散歩道のベンチでは、老人が何やらしゃべっていました。まさに、ブックエンド。

そこで、イヤホンから流れてきたのが次の曲。

♪~One flight down, There's a song on low. And your mind just picked up on the sound, Now you know that you're wrong.~♪(ノラ・ジョーンズ「Come Away With Me」の中の「One Flight Down」)暖かな日差しに、少し温まりました。じゃあ、またね。


▲私は、あなたは、どんな色?
▲私は、あなたは、どんな色?

2015年12月16日(水)

♪~Lying in my bed, I hear the clock tick, And Think of you~♪

シンディー・ローパー(1953年アメリカ生まれ)による、1984年にシングル・カットされた「Time After Time」です(全米1位となりました)。売れない時代にニューヨークのジャパニーズレストランで働いており、そのオーナーである日本人女性に「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と言われて以来大の親日家となったそうです。

2011年の東日本大震災直後に、多くの在日外国人が日本を離れていく中で、予定されていたコンサートを行うために来日されました(実は、彼女の乗った飛行機は閉鎖された成田空港に降りることができずに、米軍横田基地に着陸したといいます)。その後敢行されたコンサートは全てチヤリティーイベントとなりました。湯川れい子さんへのメールに「こういう時こそ、日本に来ることができて、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう」と語ったとか。

1985年の「We Are The World」でのシャウトも大変印象に残っています。この曲のプロデュースを手掛けたクインシー・ジョーンズに「アドリブ入れてもいい?」と言って採用されたとか。♪~You with the sad eyes. Don’t be discouraged.~♪(True Colors、1986年)

私にとっては、いつまでも、お茶目で、可愛いらしい存在です。じゃあ、またね。


2015年12月14日(月)

♪~Don't go changing, to try and please me. You never let me down before. Don't imagine you're too familiar, And I don't see you anymore~♪

ダイアナ・クラール(1964年カナダ生まれ)が、2002年の「ライヴ・イン・パリ」でカバーしている、「ピアノ・マン」ことビリー・ジョエル(1949年アメリカ生まれ)の「素顔のままで」(Just the way you are、1977年リリース)。落ち着いた、ゆったりとしたコンサート・ホールの中での低い、ためた彼女の声とその余韻、そしてしっかりと音を紡ぐピアノ演奏が心地良いです。

時々、頭をよぎる「自分は何者?」という問い。

人間の脳には小人(ホムンクルス)が住んでいる劇場があり、そこに置かれたスクリーンに経験されてきた感覚的なデータが上映されるという伝統的な意識モデルがあるとのことです。しかし、1942年アメリカ生まれの哲学者・認知科学者のダニエル・デネットは、意識とは、上記のような中央集権的な仕組みの中で成立するのではなく、空間的・時間的に並列した複数のプロセスから織り出されるものと論じています。

親に「人の振り見て我が振り直せ」と言われ、「それじゃあ、自分って何?」とつっこみたくなるのを我慢して、言われたとおりにこれまでの間「お行儀良く」してきたつもりです。しかし、この「人の振り見て~」は、認知や認識という点から考えるとなかなか含蓄のある言葉です。

子供は、そばにいる年長者や大人のまねをして、そして教育を通じて、「社会のルール」や、「善・悪」、そして「生き方」を学んでいきます。知らないことは恐怖ですし、知る(わかる)ことで予測ができて、その結果安心を得ます。一方で、ずっと人の物まねで良いのだろうかと悩むことで、他人とは違う自分、自我を意識していくのですね。

自我に目覚めてない人(自分が何者か、何者になろうとしているのかとまだ悩んでもいない人)に「そのままでいいんだよ」とは、容易には言えない…と漠然とした思いがあり、若い時に聞いた「素顔のままで」は(確かに良い曲には違いないけれど…)、何か釈然としないものがありました。今は、少なくとも、自分にだけは言えるようになったかな。じゃあ、またね。


▲赤い花が多い時期?
▲赤い花が多い時期?

2015年12月11日(金)

今年の10月21日は、スピルバーグ監督の「バック・トゥー・ザ・フューチャーⅡ」(1985年)に出てきた未来の日付です。「デロリアン号」がTVのニュースになって、「あぁ、そうだった」と思い出しました(なんと、帰りに寄ったウチの近くのショッピング・センターの1Fホールにも展示されていて、びっくり!)。

その日の夜にインターネット配信の映画を見直したのは、もちろんのことです。

空飛ぶ車、宙に浮くホバーボード(スケートボード)、自動で靴紐が閉まるスニーカー、体形に瞬時にフィットする服、数秒後の天候を当てる天気予報…など予想通りとはならなかったものもあるけれど、街頭ビジョンや3D映像は実現しました。家庭用薄型高画質モニターやインターネットなど映画より進んだ技術もあります。すごいね。

10月21日は、かつて「じゅってん、にーいち」と略されていました。1966年のこの日、当時の総評(日本労働組合総評議会)が「ベトナム反戦統一スト」を実施。そして、全世界の反戦運動団体にベトナム戦争反対を呼びかけられたとのことです(奇遇ですが、TVの「戦後70年」特集で放映された1943年の明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会もこの日の出来事です)。毎年、8月の暑い時期に特集される戦争と平和のニュース、そして「10.21」。階下のお花屋さんの軒先の様々な明るい色の花、それを手にしている女性たちを眺めながら、平和であることを思うのでした。かしこ。


2015年12月9日(水)

♪~There are places I remember, All my life, though some have changed~♪

最近、様々なファスト・フード店で聞くことができるビートルズ・ナンバー。今日のランチのお店でも流れていました(○SENで24時間流しているビートルズ・チャンネルがあります…ずっと同じ場所にいるわけじゃないから、別にいいんだけれど)。

色々な場所で、様々な人達に出会い、ここに来た、でも、何よりも君を愛している…という「In My Life」。自分のことで、精一杯で、未熟だった頃、「何で、わかってくれない」と嘆く日々も。でも、みんなもきっとおんなじ。経験しなければ、わからないこともある。あの時はあの時。今の自分の方が、ずっと好きだし、こんな私をわかってくれる人を、精一杯好きになろう…って思います。

ランチの後、喫茶店に入って、PCを広げて、インターネット・サーフィン(まだ、生きている言葉かしら…)をしていたら、あの真っ赤な地の中央に大きく黄色の「1」が見えるお馴染のポスターに出会いました。「あれっ」と思ったら、やはり2000年にリリースされた「ザ・ビートルズ1」の「最新版」(単なるCD2枚組からブルーレイとブックレットまでついたデラックス・エディションまで全部で7種類もあります)のアナウンスでした。

音源は、彼らのほとんどの作品のプロデューサーで「5人目のビートルズ」といわれたジョージ・マーティンの息子ジャイルズ・マーティンによって、新たにリミックスされ、最新のディジタル技術で修復されたミュージック・ビデオ(DVDあるいはブルーレイ)付とのことです。

1962年のデビュー・シングルのLove Me DoからThe Long and Winding Roadまでの27曲(ビートルズとしての最後のシングル・リリースは1970年のLet It Be)は、2000年に発売のものと全く同じ順番のようです。うちに帰ったら、引っ張り出して、もう一度「In My Life」を聞きたくなりました。じゃあ、またね。


2015年12月6日(日)

♪~It won’t do, To dream of caramel, To think of cinnamon, And long for you~♪

スザンヌ・ヴェガ(1959年アメリカ生まれ)が私にとって忘れられなくなった曲「Caramel」です(1996年リリースの「Nine Objects of Desire」に収録)。1996年の青春コメディでユマ・サーマンが出ていた「好きと言えなくて」や、2004年のサスペンス風のラブ・ストーリーでナタリー・ポートマン、ジュリア・ロバーツによる「Closer」(2004年)の挿入歌となりました。

彼女は、カリフォルニア州サンタモニカ出身で、1985年にアルバム「Suzanne Vega」でデビュー、1987年発表の2枚目のアルバム「Solitude standing」からのシングル・カット「Luca」が、児童虐待を受ける子供の視点から書かれた歌詞という特異な曲であるにもかかわらずヒットし、人間の心と社会を映し出す存在として世界的に知られるようになりました。我が家には彼女がほとんどギター1本で吟遊詩人のように歌う2008年の来日公演のビデオがあります。「Tom's Diner」、「Night Vision」なども、映画の一場面が浮かんできます。聞いてね。


2015年12月5日(土)

♪~The girl in the other room, She Knows by now~♪

カナダの女性ジャズ・ピアニストで、ムーディーなピアノを中心としたアンサンブル、低音で少しかすれた趣のある、「あぁ、ジャズだ」と思わせるボーカルの「ダイアナ・クラール」(Diana Krall)が、11年振りに来年2月に来日されるそうです。1964年生まれ、1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人と言われています。2003年に、エルヴィス・コステロ(1954年イングランド生まれのミュージシャン、1977年に「レス・ザン・ゼロ」でデビュー、1991年リリースのバラード「So Like Candy」が好きです~声質がミスチルの桜井さんに似ています)と結婚され、2006年には双子の男の子を出産されています。雨の日のセントラルパーク(もちろん、行ったことないけど)に佇んでいるような「Almost Blue」や「Narrow Daylight」、すれ違う人込みで立ちすくんでいるような「I’m Coming Through」、酒場での男女の駆け引きのバックに流れてきそうな「Temptation」、そして狭いライブ・ハウスで肩寄せ合って聞いているような「Love Me Like A Man」…ドラマのような展開です。

女性ジャズ・ボーカルといえば、エラ・フィッツジェラルド(1917~1996年)やサラ・ヴォーン(1924~1980年)、ビリー・ホリデイ(1915~1959年)が「御三家」と呼ばれていますが、私にとってあまりに大御所なので、十分にたどり着いてはいません。

最近はポップス一途でなく、「ジャズ100選」やセロニアス・モンク(1917~1982年)、ウェス・モンゴメリー(1923~1968年)、オスカー・ピーターソン(1923~1968年)、マイルス・デイビス(1926~1991年)、ジョン・コルトレーン(1926~1967年)、ビル・エヴァンス(1929~1980年)などのベスト盤を聞き始めています。ジャズ・ボーカルはちょっと足を踏み入れたばかりです。ゆっくりつきあっていくからね。じゃあ、またね。


▲ほろ苦い○○の味。
▲ほろ苦い○○の味。

2015年12月1日(火)

やっぱり、昔のままの佇まい、昔のBGMでした。細い雨が断続的に降る日ではありましたが、矢も盾もたまらず神田神保町の喫茶店ラドリオに行って来ました。

学生時代は、何かにつけ通った喫茶店でしたが、前回は、少し重そうな扉を見て、躊躇して通り過ぎてしまいました。

ラドリオと言えばウィンナ・コーヒーとシャンソン。生クリームと一緒に飲む深煎りのコーヒー。熱く語る先輩たちを思い出しました。照明を落とした薄暗い店内、モンマルトルの丘で売っていそうな絵画、そして年季の入った木製のテーブル、陶器の灰皿…。これだ、これだ。

いつのまにか満席となった店内は、私より随分と年下の人たちでいっぱいで、BGMの時々語りがシャウトするシャンソンの合間に、おしゃべりが聞こえていました。カウンターやお給仕のおねえさんも、若い声で「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」とご挨拶。人は変わる、ということですね。

シャンソンは不勉強なので、みんな「ラ・マルセイエーズ」(フランスの国歌。もとはフランス革命のときの革命歌で1795年に国歌として採用)風に聞こえてしまいます。

ラドリオは誰かとおしゃべりをするところ。一方、語学などの勉強をするのは、お客がまばらで、何時間いても特に何も言われることがなかった名曲喫茶でした(図書館だと静か過ぎて寝てしまうので…)。ガロの「学生街の喫茶店」のモデルとされた「丘」、「ウィーン」、「田園」。その他にトーストとゆで卵のモーニングのあった「ハイライト」、洞窟のようなつくりの「斉藤珈琲」などが馴染みでした。

大学1年の夏休みから、高校時代の友人の親が経営していた中学生向けの塾の講師を○田というところでしていました。午後4時台の特別快速にほぼ毎日乗って通っていました。どちらかというと平均より成績の悪い子の為の塾だったので、頭のいい子が中にいても、ドリルをやってもらって、あまりかまわなかったので、良い教師とは言えませんでした。あの子たちは、どうなっていることでしょう。かしこ。


▲伊勢佐木町ブルースの碑。
▲伊勢佐木町ブルースの碑。

2015年11月29日(日)

♪~Do me wrong, Do me right, Tell me lies, but hold me tight~♪

横浜の伊勢佐木町の華やかな商店街を歩いていると、手をつないで、楽しい会話や笑い声を放つ若い恋人たちと沢山すれ違います。そんな時に、イヤホンを通じて聞こえて来た「今夜は一人にしないで…」。場違いだけど、妙に心に響いてきます。

この曲は、長身・長髪で細面、ジーンズとデニムのシャツが良く似合うジェームス・テイラー(1948年アメリカ生まれ~今では、すっかり片田舎の農園のおじさん、って感じですが…)の1972年発表のアルバム「One Man Dog」からシングル・カットされた名曲「寂しい夜」(Don’t Let Me Be Lonely Tonight)です。

ジェームス・テイラーは1969年に、あのビートルズのアップル・レコードからデビュー、翌1969年にワーナー・ブラザースに移籍後、1970年にリリースしたアルバム「Sweet Baby James」とそこからカットされた「Fire and Rain」がヒット、さらにキャロル・キング作の「君の友だち」(You’ve Got a Friend)によって世界的に知られるフォーク・シンガーとなりました(この曲は、1998年の「世紀のライヴ、女神たちの競演」で、セリーヌ・ディオン、シャナイア・トゥエイン、グロリア・エステファン、そして作者のキャロル・キングの4人によっても、「女たちの友情だって、捨てたものじゃないわよ」って感じで歌われていました)。1972年の大ヒット曲「うつろな愛」(You’re So Vain~ミック・ジャガーがバック・ボーカルで参加)のカーリー・サイモン(1945年アメリカ生まれ)との結婚と離婚は、どちらもすごくショックでした(二人の間に生まれたお子さん達もミュージシャンとなられているそうです)。

このアルバムの曲の大半は、親しいスタジオ・ミュージシャンたちと、自宅のスタジオで録音されたもので、とてもリラックスした雰囲気の中で、アップ・テンポの「One Man Parade」から始まる短めの曲18曲が一気に進んでいきます。何度も聞き直してしまう、心に沁みる曲が一杯。大好きなアルバムの一つです。もちろん、彼の他のアルバム「Mud Slide Slim and the Blue Horizon」、「Walking Man」、「Gorilla」、「In the Pocket」、「JT」、「Flag」などにも好きな曲が散りばめられていますが「一枚丸ごと好き」はこれですね。という訳で、♪~Who, Don’t You Know~♪ じゃあ、またね。


▲白いツリー。見つめていたい…
▲白いツリー。見つめていたい…

2015年11月23日(月)

ポリス(1977年~、1984年に活動停止後2011年に復活)の「見つめていたい(Every Breath You Take)」(2007年発表の「Synchronicity」からのシングル・カット)のモノクロのPVは、演奏風景だけの、飾り気を排したシンプルな演出となっています。Every,Every,…と続くフレーズが呪文みたいで、心に残ります(恋人をこれからもずっと見守り続けていくよ、とも、国のリーダーの言動を見逃さないぞと言っているようにも聞こえます~ダブル・ミーニング?皮肉やパロディのイギリスだしね)。

そのボーカル兼ベーシスト、スティングは1951年イギリス生まれで、本名はゴードン・マシュー・トーマス・サムナー。スティングという名は、高校教師をしていた時に、蜂を連想させる黄色と黒の縞の上着を着ていた彼を見て、生徒がつけたあだ名という説があるそうです。

このPVが、あまりに強烈だったので、ポリス時代のアルバムは持っていません(そういう天邪鬼的なところがあるのです)。ソロ活動からのものは、多少あるのですが、映画「レオン」(1994年、リュック・ベッソン監督によるアクション映画。主演はジャン・レノとナタリー・ポートマン)の主題歌となった「Shape of My Heart」が収録されたアルバム「Ten Summoner’s Tales」(1993年リリース)がお気に入りです。全編が、民話や寓話のような構成になっていて、彼の造った世界に引き込まれていくのが心地良いのです。

♪~Baby, Please try to forgive me, Stay here, don’t put out the glow~♪

じゃあ、またね。


▲同じ月を見てる?
▲同じ月を見てる?

2015年11月22日(日)

ボブ・ディランは、陰影深いモノクロのポートレート(「エデンの東」のジェームス・ディーンみたい…)とダミ声が特徴的です(だからこそ、歌詞以上に深みが増しているのでしょう)。

1941年アメリカ・ミネソタ州生まれ。「ローリング・ストーン誌」の選ぶ「歴史上もっとも偉大な100人のソングライター」で第1位となっています。

「風に吹かれて」(1963年)、「時代は変る」(1964年)、「ミスター・タンブリン・マン」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」(ともに1965年)、「天国への扉」(1973年)などのヒット曲で知られ、ロックの殿堂入りも果たしました。かといって「伝説の人」として隠遁生活に入るのではなく、現在もなお精力的にアルバムを発表し(最新版は2012年のTempest)、ライブもこなされています(2014年に来日)。

「風に吹かれて」(Blowin’ in the Wind)は、1963年リリースの彼のセカンド・アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」に収められ、シングル・カットされました。本家よりもフォーク・デュオのピーター・ポール&マリー(アメリカ、1961年~途中解散、再結成を経て2009年まで)のカバーが世界的なヒットとなり、彼の存在が知られることとなりました。1983年のヒット・ドラマ「金曜日の妻たちへ」(TBS系)の主題歌としても知られています。

♪~How many roads must a man walk down~♪で始まり、「なぜ、どうして」が延々と続く独特の歌詞は、井上陽水さんの「最後のニュース」(1989年からスタートのTBSの報道番組「筑紫哲也 NEWS23」の初代エンディングテーマ。1991年まで起用)に引き継がれていて、ちっとも色あせることはありません。すごいね。


▲この曲はいいんじゃない…?
▲この曲はいいんじゃない…?

 2015年11月15日(日)

♪~Here We Come~♪で始まるアメリカ発のごきげんなドタバタ青春音楽コメディといえば「ザ・モンキーズ・ショー」です。何度も再放送されたので、ご覧になられた方も多いでしょう。

通称「モンキーズ」の主役は、もちろんザ・モンキーズ。イギリス発のビートルズに対抗して、オーデションによって400人から選ばれた4人によってグループが結成され、TV番組「ザ・モンキーズ・ショー」(1966~1968年、コロンビア映画製作によりアメリカNBC系列で放映、日本ではTBS系列で1967~1969年に放映)とレコード販売を連動させたメディアミックス戦略のはしりでした。

甘いマスクのデイビー・ジョーンズのボーカル、問題児で騒動を起こす役柄でドラムス担当のミッキー・ドレンツ、我関せず&終始おとぼけでベースとオルガン担当のピーター・トーク、そしてリーダー役でギター担当のマイク・ネスミス…と個性的で愛すべきキャラクターが揃っていました。現在の日本でいうとジャニーズ系やAKB系のような驚異的な人気がありました。

「恋の終列車」(1966年)、「アイム・ア・ビリーバー」、「デイドリーム」(ともに1967年)などが特に大ヒットとなり、多くのミュージシャンにカバーされました。「デイドリーム」は忌野清志郎の日本語歌詞によって、1989年にヒットしました(アーティストは覆面バンドの「タイマーズ」)。しかし、ヒットメーカー提供による良質のポップスの提供を受けていた彼らですが、ビートルズのマグマの噴出のような独創性には勝てず、いつしか時代に埋れていきました。記録、それはいつもはかない(1975~1985年読売テレビ製作の「びっくり日本新記録」でのエンディングのナレーション。この中の企画の一つであった「鳥人間コンテスト」は今も続いています)…そのものでした。

♪~I wanna be free~♪(邦題は「自由になりたい」。デビューアルバムに収録。日本では1967年リリースの「モンキーズのテーマ」のB面に収録)のデイビー・ジョーンズの声が顔同様に本当に可愛いくて良い曲でした。じゃあ、またね。


▲ブリキのおもちゃも遠い昔。
▲ブリキのおもちゃも遠い昔。

 2015年11月14日(土)

♪~When I was young, I’d listen to the radio~♪

一家に一台のテレビが入り始め、1964年の東京オリンピックを契機にカラーとなっても、チャンネル権は親にあったので、私の時間つぶし(「ながら族」などと呼ばれていました)の中心は、ラジオでした。宿題しながらの深夜放送は、友達とだべって(!)いるような感覚でした。FEN(おおもとはAFN~米軍放送網~で、日本ではFar East Networkと呼ばれていました、DJがリクエストを紹介し、その後は継ぎ目なしに音楽を流し続けていました。ウルフマン・ジャックもこの頃知った有名DJでした)や、外国のポップスやロック・ミュージックを紹介するヒット・チャート番組はお気に入りで、翌日、友達同士で話題となりました。

せっせとリクエストはがきを送り続けて、私のはがきが読み上げられると、翌週から毎週チャートが印刷されたはがきを送ってもらえました。友達に見せびらかして自慢していたものです。

リチャード(1946年~)とカレン(1950~1983年)兄妹によるカーペンターズの曲は、懐かしいアメリカのホーム・ドラマ(「パパは何でも知っている」~日本テレビで1958~1964年放映)や青春映画(「アメリカン・グラフィティ」~1973年のアメリカ映画)を思い起こさせます。親しみやすいメロディと歌詞で、ビートルズやローリング・ストーンズ全盛時代にあって、ポップスの王道を行き、そして、「遥かなる影」(1970年、元歌は1963年のリチャード・チェンバレン)、「雨の日と月曜日は」(1971年、ポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルズの作)、「スーパースター」(1971年、1969年のデラニー&ボニーのカバー)、「トップ・オブ・ザ・ワールド」(1972年)、「プリーズ・ミスター・ポストマン」(1974年、元歌は1961年のマーヴェレッツ、ビートルズも1963年発表の「ウィズ・ザ・ビートルズ」内でカバー)、そして冒頭の「イエスタディ・ワンス・モア」(1973年、リチャードとジョン・ベティスの作)など数多くの曲をヒットさせました。

批評家からは「甘ったるい」との批判も多かったカーペンターズですが、ほとんどの曲がスタンダードとなり、様々なアーティストにカバーされていることを思うと、「そんなの関係ない」といった意思を感じます。親しみやすいとは、口ずさみやすい、覚えやすいメロディと歌詞が大前提ですが、どこか懐かしく、ほっこりとする一方で、哀愁も漂う重層的なバラードの数々。うまくいかないこともあるけれど、みんな仲良くね、そしたら光も見えてくるよ…と言われているような気がするのです。じゃあ、またね。


▲今日はこのモール地下の喫茶店
▲今日はこのモール地下の喫茶店

2015年11月13日(金)

○マゾンのビデオ配信サービスが始まって、海外ドラマの「□4」や「△ァーゴ」を観ました。映画も沢山。これまで、◇SUTAYAの会員になって、新作DVDやCDのポスターが出れば、借りに行っていましたが、すでに遠い昔の出来事となっています。

オリジナル配信の「Transparent」ファーストシーズンを、毎回大笑いしながら見ています。その初回に主人公の父親の3人目の娘が、「大好き」とJim Croceのアルバムに頬ずりするシーンがあって、嬉しかったです。

ドラマは、父親は大学の教授職を辞して現在は一人住まい、母親は新しく無口のパートナーと家庭を築いている、長女は二人の娘を持つ専業主婦、長男は独り身の敏腕音楽プロデューサー、次女は学生でアパート暮らしといったファミリーものです。ある日、父親が、長年押し殺していた秘密(トランスジェンダー)を突然告白することで、家族間に混乱と亀裂が生じるのですが、様々な事件や出来事を通じて新たな絆をつくられていくという家族再生の物語です(シーズン1。一話30分で連続十話)。登場人物それぞれが個性が強いので、衝突も絶えないのだけれど、それだからこそ面白いのです。機会があったら、見てね。

Jim Croceは1943年のアメリカ生まれ、名前の通りイタリア系で、1973年に飛行機事故で無くなってしまいました。「Bad,Bad Leroy Brown」と「Time in a Bottle」がビルボード誌で1位をとりましたし、「I Got A Name」(1973年、彼の遺作となったアルバムのタイトル曲。作者は「やさしく歌って」のノーマン・ギンベルとチャールズ・フォックス)は、映画「ラスト・アメリカン・ヒーロー」の主題歌になりました。映画は、1973年公開。主演ジェフ・ブリッジスで、実在のアメリカ・オートレースのドライバー、ジュニア・ジョンソンの人生を描く作品でした。この曲でガーンとなって、彼のアルバムを購入しにレコード店に走りました。特異なだみ声と、対照的な流れるようなきれいなメロディー。軽快なカントリーや哀愁漂うバラードも心に沁みます。

♪~Like the pine trees lining the winding road I've got a name I've got a name~♪

映画は、結局見ることはなかったけれど、忘れられない曲の一つになりました。じゃあ、またね。


▲面白い本、あったって?
▲面白い本、あったって?

 2015年11月10日(火)

「伝説の」や「今世紀最大の」と冠が付いた商品のコピーを目にすると、なぜか胡散臭い感じが漂って来て、勘弁してくれ、静かにそこにいるだけでもいいのにと、その場を逃げ出してしまいます。

私にとってのK書房は、北海道に出張になる度に立ち寄る、本屋さんでした。決して大都市の、広いフロアを持つ、大きなビルのそれではありませんでした(大書店も、入り口付近の新刊コーナーを巡るのも、人通りの少ない棚でじっくり作り手の思いのこもった表紙や、手に取って淡々とした文章を流し読みするのも面白くて楽しいのですが…)。ショッピングモールのファストフード店の真向かいにあって、1階の新刊を眺めているとハンバーガーやコーヒー、フレンチフライの匂いが漂ってくるような場所にありました。2階は、店主の趣味で選書されたコーナー(「中学生はこれを読め!」や「なぜだ!?売れない文庫フェア」など)が沢山あって、ニヤリ、ゾクゾクとなる瞬間が楽しみでした。

その本屋さんが今年の6月をもって、閉店…のニュースが流れ、愕然としました(K書房に限らず、2015年5月1日現在の日本の書店数は13,488店で、10年前と比べると4千店以上廃業とのことです~日本著者販促センター)。

今日近くの本屋さんのちくま文庫の棚を見ていたら、「そうだなぁ。K書房で、『ちくま文庫全点フェア』やっていたなぁ」と、思い出しました。その中に、かつて「ジャックス」という有名なロックグループのリーダーで、グループ解散後のソロでの発表曲「サルビアの花」がヒットしたのにもかかわらず、1972年に突然ドロップアウトして、神奈川県川崎市の小さな本屋さんの店主となった早川義男さん(1947年東京生まれ)の「ぼくは本屋のおやじさん」(ちくま文庫、最初は1982年に晶文社から単行本で発売)があって、パラパラと巻末の大槻ケンヂさんの巻末を読んでいたら、少し胸が苦しくなりました。

TVや新聞で広告や書評に出ている本を買おうとすると、どうしても、都会の大書店に足が向きます。小さな町の本屋さんには、発売日に並んでいないことが多く、入ったとしてもすぐに売り切れてしまい、「ごめんなさい。売り切れです。再入荷は○月□日の予定です。予約を承ります」のPOPを見ることになるからです。

「本屋は町の人たちがつくっている」という一文にドキッとしました。若い頃の私にとっての本は、図書室や図書館で借りるものでした(漫画週刊誌以外)。趣味が広く浅くだったし、親も週刊誌のみという家庭に育ったもので…というのも言い訳ですね。ごめんね。これから借りを返していくから。


▲最初のTVはこんな形(しかも白黒)
▲最初のTVはこんな形(しかも白黒)

2015年11月9日(月)

Eテレの夜の対談番組に、みうらじゅんさんと関根勤さんが出演されていました。みうらじゅんさん(1958年生まれの漫画家、イラストレーター)は、かつてアマチュアバンドブームを起こした「イカ天」(1989~1990年、TBSの深夜番組「平成名物TV」の1コーナー。正式名称は「三宅裕司のいかすバンド天国」)の審査員、関根勤さんは、娘さんの関根麻里さんともども有名で、どこか和むものまね芸人さんです。その番組で、「マイブーム」や「ゆるキャラ」の名付け親がみうらじゅんさんだったと初めて知りました。年末恒例の「現代用語の基礎知識」による新語・流行語大賞で、「マイブーム」は1997年にトップテン入り(さらに2008年1月発売の岩波書店「広辞苑第六版」に収録されました)、「ゆるキャラ」は2008年にノミネートとなっています。

私にとっての「マイブーム」、いまは何といってもインターネット(サーフィン)です。子供の頃は、(欲しい)情報は、全て大人が握っていると思っていました。子供は世の中のほとんどのことを知らないし、たとえ知ろうとしても、お金がなくては手が出せない(欲しい本を簡単には購入できなかった、という意味で)。

親にせがんだ百科事典だけは子供部屋にあり、よく開いていました。本屋での立ち読みは、よく叱られ、はたきで叩かれていました。

先輩に「お前は何事も底が浅い」と言われます(また、別の方には「のほほん、としている」とも)。私のこれまでは、酔っぱらいの千鳥足のように、趣味や興味が定まったことがありません。時代の王道やカウンターカルチャーというよりは、サブカル、横道、路地裏と移り行き、寄り道ばかり。じゃあ、またね。


▲色づく街…。
▲色づく街…。

2015年11月7日(土)

アール・クルー(1953年、アメリカ生まれ)の「Captain Caribe」が流れてくると、夏の夕暮れの浜辺を思い出します(1976年発表のLiving Inside Your Loveに収録)。

この曲は、クロスオーバーやフュージョン(どちらもジャズをベースに他のジャンルとの融合を果たした曲とされていて、現在はその発展形として私の好きなスムーズジャズが位置づけられています)の大御所デイヴ・グルーシン(1934年、アメリカ生まれ。グラミー賞受賞がなんと10回!)の作曲で、彼の「Mountain Dance」(1980年)の収録曲ですが、リー・リトナー(1952年、アメリア生まれ)もアルバム「Gentle Thoughts」(1992年)に収めていました。このあたりの人たちはみんなデイブが見出しており、仲間達なのですね。

フュージョンは、ボーカル無しのインストゥルメンタルとして世に出て、様々なテレビやラジオのテーマ曲、BGMに採用され、「どこかで聞いたことがある」状態になってきました。ジャズと言えば、私にとってはアメリカの古い時代のたばこの煙でモヤっとした酒場での生演奏のイメージですが(もちろん、この系統も好きですよ)、随分と身近に、そして健康的になりました。アール・クルーと言えば天気予報(のBGM)というように。じゃあ、またね。


▲ここは、温かいよ。
▲ここは、温かいよ。

2015年11月6日(金)

曇り空を見上げると、行ったこともないのに、ロンドンの街並みをイメージしてしまいます。

ビートルズの「Abbey Road」(1969年、イギリス発売としては11作目のアルバム)のジャケットの空は、青く晴れていたのに。イギリス発の映画やTVドラマのせいかしら。

どうも、私の中では、アメリカ南部のカルフォルニアやフロリダの青い空と対比しているようです。

「Abbey Road」は、彼らの最後のアルバムとされている「Let It Be」より後にレコーディングがされているので、事実上のラスト・アルバムといえるのだそうです。このB面だけで、有名な「世界初」のトータル・コンセプト・アルバムの傑作「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」(1967年発売、イギリス「ミュージック・ウィーク」誌で23週連続、計27週第1位を獲得、アメリカの「ビルボード」誌では15週連続1位、同年のグラミー賞で最優秀アルバム賞ほか4部門を獲得、450万枚以上のセールスとなりました)に「匹敵する」(「ローリング・ストーン」誌)と言われました。マイケル・ジャクソンも映画「ムーンウォーカー」で歌った「Come Together」や、ジョージ・ハリスンによる抒情的な「Something」、ポールがシャウトする「Oh! Darling」、いつもとぼけたリンゴの「Octopus’s Garden」などのヒット曲で埋められたA面、B面のメドレーの中にも「Here Comes the Sun」、「Because」、「Golden Slumber」などのお馴染の曲がちりばめられています。多才、すごい。


▲かんらんしゃ。
▲かんらんしゃ。

2015年11月4日(水)

どこまでも真っ青な空が広がっていました。遠くの山の峰など景色が良く見える一方で、空気が乾燥して、肌寒くもなってきました。風邪をひかないように気を付けようと思っていたら、のどを痛めてしまいました(おそらくTVを見ながらのうたたねのせい)。やれやれ、です。

見ていたのは、Eテレの「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」(毎月の最終週の土曜日24時に放映されるトーク番組。専用のホームページもあります)の録画でした。最後のところで、疲れもありダウン(言い訳…)。この番組は、一つのテーマを「1970年以降生まれ」の論客たちを招いて議論する番組です(番外ということになると思いますが、1987年から始まった元祖深夜討論番組「朝まで生テレビ!」の企画・進行役の田原総一郎さんも出演されていました)。ここに出演された方々の本やホームページを追っかけています。司会進行役の古市憲寿さんの著作は、直近に「誰も戦争を教えられない」(2015年、講談社+α文庫。2013年の「誰も戦争を教えてくれなかった」の文庫化で改題~本屋さんで購入しましたが、もうKindle版が出ています)を読み終えました。戦争に関連した各国のミュージアムを巡ることで、それぞれの国がどう戦争と平和を次世代に伝えていこうとしているのかを探っています。私の、数少ない海外旅行でも、スーパーやコンビニ巡りが欠かせないのですが(ご当地の商品や価格、人々がどういう商品を購入するのかを見るのが好きなのです)、同様の感覚を覚えました。よかったら、読んでね。

フランスの社会学者・哲学者・数学者であるオーギュスト・コント(1798~1857)が「社会学の祖」と呼ばれています。ブラジル国旗の中央の白いベルトに記された(よく見ると文字が刻まれています)「Ordem e Progresso」(秩序と進歩)とはコントの言葉だそうです。さて、録画の続きを見なくちゃ。じゃあ、またね。


▲一緒に聴く?
▲一緒に聴く?

2015年11月2日(月)

少し前に、中津川フォークジャンボリーのことを、あのウッドストックよりも前に日本で開催された初の野外コンサートと紹介しました。正式名称は、全日本フォークジャンボリーといって、1969年から1971年にかけて、岐阜県恵那郡の椛の湖(はなのこ)湖畔で開催されました。レコード会社の枠を超えて、様々なアーティストが出演することとなったのは、どこかの興行主やレコード会社の主催ではなく、「実行委員会」形式で開催されたことによるものでした(3回で終了したのも、その運営形態の限界だったのかもしれません)。我が家には、参加者が2万人を超えたとされた1971年のライブ盤(8/7~9の3日間、発売はキングレコード)があります。

吉田拓郎さんが2時間近くも「人間なんて」を歌い続け、次の年からのブレイクによって、このライブは「伝説」とされました(レコードでは8分29秒の収録)。

「教訓Ⅰ」の加川良さんからスタートし(このヒトの声が好き)、「遠い世界に」(藤原秀子さん~五つの赤い風船のボーカルだった人)、そして吉田拓郎さんの「人間なんて」、続いて「雨が空から降れば」、「面影橋」(ともに小室等さんのいた六文銭、ボーカルは及川恒平さん)、「赤色エレジー」(あがた森魚さん)、「自転車に乗って」(高田渡さん)、「教訓Ⅱ」(教訓Ⅰのパロディ、なぎらけんいちさん)、「カレーライス」(遠藤賢司さん)、「かくれんぼ」、「春よ来い」(ともにはっぴいえんど)、「それで自由になったのかい」(岡林信康さん)などなど、そうそうたるメンバーでした。

2つのサブステージでは、フォーク、ロックの演奏が繰り広げられたとのことですが、このレコードではほとんどがフォーク畑の皆さんの比較的歌詞の聞き取りやすいものでした。当時のロック系のライブ盤は(PA技術の限界もあるのだと思いますが)、楽器の音が割れていたり、ボーカルがうまくとれてなかったりで、何を歌っているのかさっぱりわからないものが多い印象がありました(まぁ、それがライブ感~その場にいてもよくわからなかったはず~だったのかも知れません。ちゃんと歌も楽器も聞き取りたかったらスタジオ録音盤を購入しなさい、ということでしょう)。

ウッドストック後、中津川フォークジャンボリー後…というように、この2つのライブ盤を通して、登場したアーティストたちのアルバムの「追っかけ」が始まったのでした。かしこ。


▲街がユラユラ映ってる。
▲街がユラユラ映ってる。

2015年10月28日(水)

いつものiPodを休ませ、スマホ端末(Android)に変更しました。iTunesのプレイリストがうまく移行できなかったので、ジャンル別の「全曲シャッフル&リピート」で聴く機会がほとんどです。

そこで、フォークを選ぶと、高田渡&蓮親子のライブ(27/03/03、エイベックス)が結構な頻度で流れてきます。日付がタイトルとなっている通りに、2003年3月27日のNHK-FMの音楽番組における公開録音盤です。高田渡さんの、音域の狭い特徴的な声、ギターは3フィンガーにより繰り返されるシンコペーション、そしてMCでの落語家さんのような間の取り方とユーモア。蓮さんのスチールギターや親子の掛け合いも微笑ましい…。

高田渡さんは1949年~2005年、岐阜県出身のフォーク・シンガーです。ご自身の作詞作曲もありますが、他の詩人の作品を、アメリカ発のフォークソングを原曲にアレンジして創られたものが多いです。物議を醸しだした、日本の最初の逆説(パラドックス)表現の曲と言われる「自衛隊に入ろう」(1969年)も原曲はピート・シーガー(1919~2014年、アメリカ生まれ、プロテストソングのパイオニアと言われたフォーク歌手)のものでした(1962年発表の「アンドーラ」)。

彼の歌で取り上げられた、山之口獏さん(1903~1963年)や金子光晴さん(1895~1975年)、草野心平さん(1903~1988年)、そして添田唖蝉坊さん(1972~1944年の演歌師)などの存在を知り、詩集を購入したりしていました。

♪~歩き疲れては 夜空と陸との 隙間にもぐり込んで 草に埋もれては寝たのです~♪(「生活の柄」、詩は山之口獏)

ヤギのような白髪、白髭で優しい目をした高田渡さんを思い浮かべながら、今日は横浜駅近くの川べりを歩きました。じゃあ、またね。


▲114曲も入ってる。
▲114曲も入ってる。

2015年10月27日(火)

部屋の掃除は、全部屋合わせても30分前後で終えています(60㎡弱)。その際、絶大な効果をもたらすBGMがYMOです(YMOファンの皆様、こんなシチュエーションでの大御所の登場、ごめんなさい…)。

元祖ピコピコ、テクノ・ポップといえば、シンセサイザーやコンピュータを多用し、日本ばかりか世界中を席巻したイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)です。原宿の歩行者天国や代々木公園での竹の子族(ブーム最盛期は1980年。独特の派手な衣装で、ラジカセのディスコサウンドで踊る中高生の集団で、二千人以上にも膨れ上がったことも)による「ライディーン」の振付の記録映像をTVで何度も見ました。

YMOは、1978年に、元はっぴいえんどの細野晴臣さん、元サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸弘さん、そして当時はまだスタジオミュージシャンだった坂本龍一さんによって結成されました。なお、私はコンサートに行ったことはありません。TVでは何度かライブが放映されていました。また、TVのバラエティー番組「オレたちひょうきん族」(1982年3月の、番組中の「ひょうきんベストテン」に出演)や「THE MANZAI」(「トリオ・ザ・テクノ」の芸名で出演)での彼らも観ています。

私にとっての、それまでのシンセサイザー(通称シンセ)といえば、手塚治虫原作のアニメ、「ジャングル大帝」(1965~1966年、フジテレビ)の音楽を担当された富田勲さんでした。クラシック音楽をベースにした壮大な世界を表現する楽器というイメージでした(当時のばかでかいシンセサイザーがまた圧倒的でした)。しかし、YMOによる、ダンサブルでシャワーを浴びるような音楽の登場は、アドレナリンが一挙に噴出するような戦慄を覚えました(毎日聞かないではいられない麻薬性も…)。そして彼らは、それまでのミュージシャンが成し遂げられなかったワールドツアーにあっという間に進出していったのでした。

この「電気的演奏法」は、クラフトワーク(1970年~、ドイツの電子音楽グループ)の4枚目のアルバム「アウトバーン」(1974年)のヒットが大きかったようです(実際、クラフトワークに関心のあった坂本龍一さんがメンバーに紹介し、YMOのコンセプトが固められていったとのことですし、再結成後のコンサートにはクラフトワークも招待されて演奏参加しています)。

我が家には、彼らのアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」、「ソリッド・ステイト・サヴァイバー」、「BGM」、「テクノデリック」、「浮気なぼくら」、「サーヴィス」、再結成後の「テクノドン」、そして全ての曲が収録された「YMO Selfservice」(MP3形式のレートレベルが低いために全114曲がなんと2枚のCDに収まっています)があります。

このサウンド、リズムが掃除機の動きに良く合います。生活感漂う鑑賞法で申し訳ないです。じゃあ、またね。


▲何が、起きたの?
▲何が、起きたの?

2015年10月26日(月)

私たちは、多くの先人たちの辿って来た道を「教養」として学び、社会の中で、経験を重ねることで(もちろん失敗も沢山)、「次にこうしたら、こうなる」と予測ができるようになり、さらにその予測に応じた対応や行動がとれるようになっていきます。それが「学習」ですね。

まさに、「学習」の映画、と思えるのが、私にとっては「ファーゴ」です。

コーエン兄弟による映画「ファーゴ」(1996年)は、トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」やマット・デイモンの「ボーン・アイデンティティー」のような豪快なカー・チェイスも大規模な爆発もありません(もちろん、これはこれで面白いです)。

私の中でのコーエン兄弟の作品のレベルは、全く違うジャンルですが、「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟と双璧をなしています。

彼らの出身のミネソタ州ミネアポリスの自動車セールスマン、ジェリー・ランディガードが引き起こす奇妙な事件。妊婦の署長マージ・ガンダーソンによって、じわじわと事件の核心へと近づき解決していく物語でした。なんといっても、「こんなヒト、いるよね」といった登場人物が可笑しいのでした。

そのコーエン兄弟の製作総指揮によるTVドラマ「FARGO/ファーゴ」(2014年にシーズン1、現在はシーズン2が放映中とのこと)を、ビデオ配信サイトで見ることができるようになりました。映画の十年後(2006年)が舞台ということで、映画の時の登場人物は一人も現れてきません。アンジェリーナ・ジョリーの元夫、ビリー・ボブ・ソーントンが、味のある、知的で、冷徹、どことなく趣味的に犯罪や殺人をする得体の知れない悪人を演じています。どんどん騙され、追い込まれていく周りの人々とのやり取り。「実際にこんな人に会ったら、きっと騙されてしまう」、「こんなシチュエーションだったら、自分もきっとあのようにしてしまうだろう」などと思わせる人物描写のリアルさが魅力です。

普通が面白い、というお話でした。じゃあ、またね。


▲伸びている?寝ている?
▲伸びている?寝ている?

2015年10月23日(金)

C, S, N&Yのライブ盤「4 Way Street」の最後に流れる、彼らの美しいハーモニーだけでエンディングに向かう「Find the Cost of Freedom」は、ステファン・スティルス作によるものです。自由を得るための代価として命が消費されるという皮肉をうたったものとされています。

私にとって、この曲のイメージは、先日歩いた上野公園の西洋美術館の入口の「考える人」です。忙しく遊び回っていた小さな頃に、教室で学んだ「考える人」は、何でそんなに悩むことがあるの、という不思議な存在でした。

小学校の時は、国語が苦手科目の一つでした(もちろん、他にもあるけれど…)。なぜ、世の中は算数の数式のように、簡単に理解できないんだろう。じれったい。小さい頃の私は、体も世界も、まさに小さくて、「わからないことがわからない」漠然とした不安の中にいたのでした。

それが今では、休みの日といえば、わんこ通信を書き殴っているのですから、不思議なものです(若い時に学んだこと、あるいは学ばなかったことがその後のその人の将来には何の関連もない、と最近読んだ本に書かれていました)。仕上げた時の高揚感を知ってしまったが故か、休みが近づくたびに、「あれ、書かなくっちゃ」とそわそわしてしまう自分がいます。言葉によって、(今は)わからないことも含めて理解していく、そのことが「楽しいこと」になるのですね。

今日は、この通信を書きながら、「考える人」(1840何フランス生まれの彫刻家、オーギュスト・ロダンによる1902年製作、未完に終わった「地獄の門」の一部の彫像、パリのロダン美術館所蔵)や、「人間は考える葦である」(1623年フランス生まれの哲学者、数学者、キリスト教神学者と多くの顔を持つブレーズ・パスカルの遺稿集「パンセ」から)などを思い出してしまいました。

じゃあ、またね。


▲久々、しっかり読んじゃった。
▲久々、しっかり読んじゃった。

2015年10月21日(水)

積読のせいで、本棚がたわんできたので整理を始めたら、1992年5月29日付の「asahi journal 最終特別号390円」(編集長は下村満子さん)が出てきました。中身をパラパラ読み始めたら、結局最後まで読んでしまいました(この性格で、なかなか整理が進みません)。記事は、どれもある意味「新鮮」。要は、ほとんど頭に入っていなかったのだと再認識した次第です。

私の好きな「ジャーナリスト」は、筑紫哲也さん(1935~2008年、大分県生まれ)でした。彼は、新聞、雑誌、TVと「報道」の3つの媒体を通じて、素材を周到に収集し、正確な報道に努めたばかりか、自身の考えを、世に送り出し続けた人でした。

私の大学時代は、サークル、アルバイト、学業と雑学で、時間はほとんど埋まっていて(ほんとう…?)、「朝日ジャーナル」(1959~1992年、朝日新聞社、筑紫さんは1984~1987年編集長~以下「ジャーナル」)は全く手にしたことがありませんでした(これは、確か)。「右手にジャーナル、左手にマガジン」(早稲田大学新聞)と言われていて、そうした流れが嫌で距離を置いていました。自分が、いろんな意味で流されていくのではという不安の裏返しだったような気もします。だから、前に書いたような「ジャーナル」の「周辺」をあえて読んでいたのでした。

社会人になってから、筑紫哲也さんの「ジャーナル」を、毎号購入して、他の雑誌や新書、文庫を読む途中で、少しずつ一週間かけて読み終えるのが習慣でした。「編集前記」のような筑紫さんの「多事争論」(TBS「ニュース23」に引き継がれました)、浅田彰さんの「ニューアカデミズム」関連の哲学ネタやシリーズとなった「若者たちの神々」、その後の「新人類の旗手たち」、「元気印の女たち」(様々な分野のトップランナーとの対談)をいつも楽しみにしていました。

筑紫さんは、「ジャーナル」編集長退任後、1989年に朝日新聞社を退社し、TBS「ニュース23」のメインキャスターとして、テレビ朝日の久米宏さんの「報道ステーション」と肩を並べていました(もちろん、ご本人がどう思っていたのかは知る由もありません)。「ジャーナル」後、現在は「AERA」を、「dマガジン」で毎号読んでいます(「週刊金曜日」は本屋さんでたまに購入)。

集英社新書から出ている関連書が3冊~「ニュースキャスター」(2002年)、「若き友人たちへ―筑紫哲也ラスト・メッセージ」(2009年)、「不敵のジャーナリスト 筑紫哲也の流儀と思想」(2014年、佐高信著)~あります(どれも、しみじみ…という感じで読みました)。時間があったら、読んでね。


▲行き詰った時は、ガオー、と叫んでみる。
▲行き詰った時は、ガオー、と叫んでみる。

2015年10月19日(月)

大学時代のカルチャー全般の情報収集は、イラストレーターの及川正道さんによる、話題の人が表紙を飾った「ぴあ」という情報誌(1972~2011年)によるところが大きかったです。及川正道さんは、最も長期間雑誌の表紙のイラストを描き続けたイラストレーターとして2007年にギネスに登録されています。

そこでの情報を元に、主に映画、時々美術館に行きました。せっせと、はがきを出すと、時に招待券が当たり、試写会に行くこともありました(いろいろなものに応募しましたが、ぴあの映画観賞券の当選率は結構高かったのです)。

毎日、夕方から夜にアルバイトを入れていたので、平日の昼間に、閑散とした映画館に向かうのでした。そのほとんどは名画座と言われるところでした。人気映画の封切初日に、ロードショー館で、1時間くらい並んで観たこともありますが、ごく稀でした。

池袋の文芸座、文芸座地下劇場(1956~1997年。2000年に「新文芸座」として再オープン)、飯田橋ギンレイホール(1974年~)、早稲田松竹(1951~2001年。早稲田大学の学生を中心とした「早稲田松竹復活プロジェクト」により2001年から再開)…。懐かしい。

雑誌「ぴあ」は、わが母校の先輩(矢内廣)が1972年に創業・創刊した雑誌で、学生起業の走りでした。1999年以降のチケット販売専用のウェブサイト「チケットぴあ」(通称「チケぴ」)は、広く知られていますね。

現在の「映画(館での)鑑賞」は、インターネットで予約し、好きな席を選び、封切初日にも並ばずに鑑賞することができます。映像はデジタルだし、3Dの音の渦の中に置かれ、まるでその場面に迷い込んでしまったような迫力ある環境の中に身を置くことができます。自宅のTVも随分と大きなサイズになってきましたが、映画館での鑑賞は、格別です。そのサイズと音にふさわしい、大スペクタル巨編を選んで、見に行っています。

一方、我が家では、インターネット配信が充実してきたので、喜怒哀楽を描いた人間模様がテーマの旧作や名画を見ています。沢山の人たちの手間と時間を掛けた映画も、簡単に、安く見ることができて幸せです。

丁度、「Not too late~」(2007年)と歌うノラ・ジョーンズの歌声が聞こえてきました。これからも、沢山、良いことが訪れてくるように…(もちろん、皆様にも)。じゃあ、またね。


▲どこへ行くの?
▲どこへ行くの?

2015年10月16日(金)

我が家には、1969年8月15日~17日の記録映画「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」のDVDがあり、時々パソコンのプレーヤーに乗せて、再生しています(もちろんTVに接続したビデオデッキに付属のプレーヤーでも再生は可能だし、その方が大画面で良い鑑賞法といえるのですが、なぜかPCモニターで見るのが習慣となっているのです)。

ウッドストックといっても、あの漫画「ピーナッツ」に出てくる、チャーリー・ブラウンが連れているスヌーピーの親友で、一見ハチ鳥のような黄色の鳥のことではありません。

本来は、ウッドストック(アルスター郡)で開催される予定だったのが、周辺住民の反対運動の為、近郊のサリバン郡べセルの個人農場主所有の酪農農場が会場となりました。事前に18.6万枚のチケットが売れ、結果的に50万人以上の観客による大野外コンサートとなりました。

アーロ・ガスリー、ジョーン・バエズ、ジョン・セバスチャン、サンタナ、グレイトフル・デッド、CCR、ジャニス・ジョプリン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ザ・フー、ジェファーソン・エアプレイン、ジョー・コッカー、テン・イヤーズ・アフター、ザ・バンド、BS&T、CS&N、ジミ・ヘンドリックスなど名のある大物たちが参加していました。このDVDを見たことを契機に、彼らのアルバムを買い足していったというのも少なくありません。

映画の中では、観客たち(おそらくその中心は「既成の価値観に縛られた人間生活の否定、文明以前の野生生活への回帰」を提唱するヒッピーと呼ばれた人々でした)ののんびりとした生活風景が映っていました。1961年のアメリカのベトナムへの介入(当時の大統領は、あのケネディ)により戦闘が激化していったベトナム戦争への反対や嫌悪、そして平和を求める若者たちによる一大ムーブメントでした(実は、日本では、このウッドストック・フェスティバル開催前の8月9日~10日に「中津川フォーク・ジャンボリー」という初の野外コンサートが約3千名の観客により開催されています~そのライブLP盤もウチにはあるのです)。

国が戦争を起こしている中での、カウンターカルチャーともいうべき、歴史的な「事件」だと思って見ると、「やるじゃん!」と、元気をもらえます。さらに6年の歳月を必要としましたが、とにかくベトナム戦争は終結したのですから。じゃあ、またね。


▲駿河台記念館ロビーにある「護法の像」
▲駿河台記念館ロビーにある「護法の像」

2015年10月13日(火)

院長のように、空気感や匂いで季節の変わり目を感じることはないのですが、「あぁ、この味」といった感覚で、急に、時代や場所を思い出すことは、人並みにあります。

今日は、近所のチェーン展開の喫茶店で、季節限定のウィンナー・コーヒーを頼み、「あぁ、この味」と、二十歳の頃を思い出していました。

ウィンナー・コーヒーは、その通り、オーストリアの「ウィーン風の」コーヒーという意味で、ちょっと濃い目のコーヒーにホイップクリームを浮かべたものです。でも、ウィーンには、この名称でこの形のコーヒーは存在しないとのことです(似たようなレシピのコーヒーは「アインシュベンナー」と呼ばれています)。

お茶の水にあった大学(現在は大学会館のみを残しほとんどが八王子に移転)に通っている時に、サークルの先輩に連れられて行った喫茶店(夜はほとんどアルバイトだったので、昼間の授業の合間です)の一つに「ラドリオ」がありました。神保町の「三省堂書店」の近く、1949年に創業とのことで、老舗です。「ラドリオ」はスペイン語でレンガの意味で、外壁は赤いレンガで埋められていました。ほとんどの調度品が木製で、BGMはシャンソンのみと、あの時代でも、さらに昔にトリップしてしまう佇まいでした。その中で、先輩が人生や社会について語って、私も将来への漠然とした不安を吐露して、何時間も木製でクッションがなく硬い椅子に座っていたのでした。

その、「コーヒー」と頼むと、白いクリームが渦を巻いてカップにそびえ立つウィンナー・コーヒーが出てきて、最初とてもびっくりしたことを思い出します。最初にクリームを一口、次にコーヒーとともに飲んで、最後はかき回して残りを流し込む…といった飲み方を、「こうして飲め」と言われたような気がします。

ちょっと前に、大学のゼミ時代の仲間と会う機会があり、その帰りに神保町のすずらん通りを抜けて、九段下駅まで歩いたのですが、まだ、同じ場所で営業されていました。

遅い時間だったので、そのまま通り過ぎたのですが、今度来た時は中に入って、また、あのたっぷりクリームの乗ったウィンナーコーヒーを飲んでみることにしましょう。じゃあ、またね。


▲いつも、ここにいるよ。
▲いつも、ここにいるよ。

2015年10月11日(日)

先日の博物館に続いて、久しぶりの美術館へ。

この前行ったのは、去年の夏、横浜美術館の「ヨコハマトリエンナーレ2014」(横浜市で3年に一度行われる現代アートの国際展)でした。気まぐれで、一つの作品をじっと隈なく見るなどということが苦手な私にとっては、美術館は敷居の高い場所なのです。これまで、足を運んだ個人の名前の付いた展覧会は、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1942~1519何、イタリア)、パウル・クレー(1879~1940年、スイス)やポール・ゴーギャン(1848~1803年、フランス)、そしてアンリ・ルソー(1844~1910年、フランス)などで、美術の教科書から少し足を踏み出した程度に過ぎません。やれやれ。

「光の画家」と呼ばれ、美術の教科書に掲載された「印象・日の出」(1873年)や「睡蓮」(1920~1926年の連作)で有名なクロード・モネの展覧会でした。マルモッタン・モネ美術館(フランス、パリにある美術館で世界最大級のモネの作品のコレクションで知られています)所蔵の「印象・日の出」が、「21年ぶりの東京」公開だそうで、若い人からご年配まで、多くの来場者で一杯でした。

少し照度を落としたホール。彼の数々の作品に対して天井からスポットライトが照らされていました。「印象・日の出」も左・正面・右と移動しながら見ると、水面が揺らいでいるように見えて、「どこかで見たことがある風景…」と錯覚してしまうようでした。

さて、睡蓮と言えば、不忍池。という訳で(?)、そのまま、上野動物園に入って、一通り、動物たちを眺め、西園へ行き、池のほとんどを覆った睡蓮に、ただただすごいねぇと思ったことでした。いやぁ、今日は歩いた。かしこ。


▲久しぶりに、飛行船を見た。
▲久しぶりに、飛行船を見た。

2015年10月9日(金)

ボビー・コールドウェル(1951年アメリカ生まれ)が、12月に来日して東京、大阪、仙台でコンサートを行うニュースを見ました。

彼の、バラード、ロック…と多彩な声色と表現力のボーカル、そしてゆるやかに流れるメロディ・ラインが好きで、ほとんどの全てのアルバムをコレクションしています。

メロディ・メーカーとしても多才な彼は、ボズ・スキャッグス(1944年アメリカ生まれ)に「ハート・オブ・マイン」(1988年)、元シカゴのボーカルで脱退後ソロとなったピーター・セテラ(1944年アメリカ生まれ)には「ステイ・ウィズ・ミー」(1987年)を提供し、いずれも大ヒットしました。AC(Adult Contemporary、かつてはAORとも呼ばれたジャンル名、「大人向けの音楽」というような意味です)のど真ん中のシンガー・ソング・ライターで、1979年TBSのTVドラマ「たとえば、愛」(主演は大原麗子さんで、DJ役でこの曲が紹介されたのです)の挿入歌に採用された「風のシルエット」(What You Won’t Do For Love)は、1978年発表のデビュー作で(ちなみにこのドラマの主題歌は豊島たづみの「とまどいトワイライト」でした)、関西方面からジワジワと広がり、一気に全国区のヒット作となりました(そのEP盤が真っ赤なハートマークだったことでも有名に)。

突然話は変わりますが、曲もさることながら、思い出すのは、カセット・テープづくり(!)です。その頃の私の「携帯型音楽再生装置」は、今では影も形もない、カセットを挿入する「ウォークマン」でした(ソニーの登録商標ですが、とにかく演奏しっぱなしだと、そのうちにヘッド部分がすり減って、音がくすんでくるし、テープ送りのローラーの劣化でテープがよじれてしまうなどの理由から、他社製のものも含めていくつも買い足していました)。前に書いたTVで放映された「ソニー・ミュージックTV」の録画や、購入したLPから好きな曲をカセットにダビングして「My Favorite Songs 19XX No.YY」などとタイトルをつけて、持ち歩いていました。「ソニー・ミュージックTV」は金曜日の夜の放映でしたので、週末はたいていダビング&編集作業で日が暮れていきました。結構時間も手間もかかる趣味でした。

マイケル・フランクス(1944年アメリカ生まれ)、ジェームス・テイラー(1948年アメリカ生まれ)、サイモンとガーファンクル(二人とも1941年アメリア生まれ)、ニール・ヤング(1945年カナダ生まれ)、ジム・クローチ(1943年アメリカ生まれ…1973年に飛行機事故で他界)などが常連でした。とにかく、90分用のテープ(!)を全部埋めないと、再生時に無音部分が出てしまうので、最初に、録音する曲を分単位でまとめる作業から始まる訳です。とても面倒臭い。我が家のテーブルの引き出しには、その血と汗と涙の結晶が沢山残っているのです(大袈裟!)。じゃあ、またね。


▲持つべきものは、友。
▲持つべきものは、友。

2015年10月8日(木)

港を見下ろせるタワーの展望台で、ずっと下を見ていると頭がクラクラしてくるので、ベンチに座っていると、ちょうどS&Gの「Old Friends」(1971年発売のシングル「America」のB面の曲)が流れてきました。♪~Sat on their parkbench like bookends~♪

自分の小遣いで最初に購入したLPレコードは、1968年に発売された、CBS・ソニーレコード(現在はソニー・ミュージックエンタテイメント)から出されていた「ギフト・パック・シリーズ」のひとつ、「サイモンとガーファンクル」でした。白い箱に入った2枚組のベスト盤で、表紙には彼らののんびりした散歩の姿が写っています。

悩みに悩んだ末に購入したアルバムでした。毎日、部屋に置かれたステレオのターンテーブルに乗せて、1枚目最初の「The Sounds Of Silence」から、2枚目最後の「bridge Over Troubled Water」まで順に聞いていました。合間に、親の趣味のシングルで、そばに置いてあった「二人のシーズン」(1969年、ゾンビーズ)、「霧のカレリア」(1966年、ザ・スプートニクス)、「わが心のジョージア」(1960年、レイ・チャールズ)なども聴いていました。

このステレオ・セットは親が趣味で購入したもののお下がりでした。広い家であれば居間にデンと収まりそうな、木目調で、結構重たい、四方から足が伸びた、まるでテーブルでした。大きくて厚い天板を上に開いて、数枚のレコードを一度にセットできます。連続演奏が可能なアダプター(オート・チェンジャー)がターンテーブルの中心に備え付けられていました。

さて、ギフトパックには、アーティストの生い立ちやインタビュー記事で構成された、かなり長い文章によるライナー・ノート入りのブックレットがついていました。この「サイモンとガーファンクル」にも牧範之さん執筆の、自伝のように詳細なものが掲載されていました。

最後のページのサイモンの言葉「ぼくは28です。自分自身のことと、自分が達成したことを思います。ある種の洞察力に導かれることとか、人生において何に価値を置くかが分かるようになるには、時間がかかるものですね。とても苦労しました。そして、多くの人が得られる以上のものを手に入れました。しあわせなのです。それで充分と言うべきでしょう」

かなり濃い人生を、駆けて来たんだね。すごいね。


▲博物館のとなりは国技館。
▲博物館のとなりは国技館。

2015年10月6日(火)

Puff Daddyのラップが冴える「I’ll Be Missing You」は、ノリが良くて、夕暮れ時の街中を歩いている時に聞こえてくると、一日の疲れも吹き飛ぶくらいに足取りが軽くなります。元歌は、もちろんポリスの「見つめていたい」(1983年、アルバム「シンクロニシティ―」からのシングル・カット)。モノクロのPVで、ウェーブのかかった髪のスティングがウッド・ベースを弾きながら歌う姿、すぐにわかる特徴的な声、そして独特のギターのリフレインが印象的でした。スティングのこの曲は、イギリスで4週連続、アメリカでは8週連続ヒットチャート1位を記録し、翌1984年のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀ポップ・デュオ/グループ賞をとっています。PVもMTVのcinematography awardを受賞しました。

実は昨日、久しぶりに実家の母から電話があり、結構な時間話している時に、小学生の頃の小さな自分を思い出していました。法事で出会った多くの親戚たちも、比較的背の低い人たちでしたので、大人になっても、そうそう大きくはならないだろうと、漠然と思っていました。見えている世界や考えも、身の丈同様に随分と低くて狭いものでした。

高学年になって、国語や道徳の時間に、教科書や紙芝居の朗読をさせられる機会が増えました。先生のすすめで、放送部員にもなりました(「声が良い」とほめられ、嬉しくなって、調子に乗った訳です)。でも、作家の書いた、しっかりした文章を声に出して読む機会を得たことは、あがり症だった私にとっては一種の「リハビリテーション」だったのでした。

「自分は何者なのか」とか「どのように生きていくのか」と思うようになったり、もちろん友達ができて様々な事を話すようになったり、社会・哲学など人文系の本を面白く読むようになるのは、さらに沢山の時間が経ってからでした。

♪~Every Breath you take~And every move you make~Every bond you break~Every step you take~I’ll be watching You~♪

ポリスの「見つめていたい」を最初に聞いた時は、ラブ・バラードというよりは、遠くから私を見続けていて、いつか評価してくれる、そういう人が現れる…何か、「啓示」のように思えました。おそらく、最初からダブル・ミーニングだったのですね。深いなぁ。じゃあ、またね。


▲こんな日は、外でソフトクリーム。
▲こんな日は、外でソフトクリーム。

2015年10月5日(月)

先日、汗ばむ位の陽射しの中、電車に乗って小1時間、T駅へ。北欧の家具を扱うお店に行って来ました。

おそらく日本の若い家族向けに再構成されたと思われる家具や生活雑貨のフロアは、沢山の若いカップルや、笑顔の親子連れでにぎわっていました。

そんな時、イヤホンから聞こえてきたのは、♪~Goodbye Yellow Brick Road~♪

そうそう、Elton Johnが11月に来日するという巨大なポスターが、駅のホームの掲示板に貼り出されていました。だいぶ恰幅が良くなって、貫禄十分。

エルトンと言えば、前にもわんこ通信で書いた「僕の歌は君の歌」(Your Song、1970年)があまりにも有名ですが、この曲が収められた2枚組のLPレコード「黄昏のレンガ路」(1973年)も好きなアルバムの一つです(といっても、すでにターンテーブルに載せて聴くということは久しくありませんが…)。メロディは、秋の気配が漂う頃に良く似合うバラードです。しかし、歌詞は、というと、都会に出て来た主人公が、様々なしがらみに嫌気が差して再び田舎に帰るぞ…といった内容のようです。これだと、いくら曲のイメージが良くても「通」にしか受けそうもないと思われるのですが、英米ではともにアルバムチャート1位になりました(このアルバムからはタイトル曲以外に「ベニ―とジェッツ」、「風の中の火のように」、「土曜の夜は僕の生きがい」がシングルカットされ、いずれもヒットしました)。

同世代には、「アローン・アゲイン」(1972年、1986年にはアニメ「めぞん一刻」の主題歌に)や「クレア」で知られるGilbert O'Sullivan(1946年アイルランド生まれ)や、大ヒット曲「素顔のままで」(1977年)や「ストレンジャー」(1978年)のBilly Joel(1949年アメリカ生まれ)などがいます。なぜか、惹かれて、コレクションになっています。

三者に共通するのは、声に特徴があり(ひと声でこの人とわかる、味がある)、ピアノ、キーボード奏者で、演奏もうまい(印象的)ことです。あっ、だから「売れる」ということなのかも。じゃあ、またね。


▲代官山の本屋さん。
▲代官山の本屋さん。

2015年10月4日(日)

インターネットが、より多く、より早く、より安くなったおかげで、生活がとても充実してきたと素直に思えます。好きな曲をダウンロードして、イヤホンを通して流しながら、毎回わんこ通信も綴っています。感謝。

IT(Information Technology)、あるいは、ICT(Information Communication Technology)の定義は、「コンピュータをベースとした情報システム、特にアプリケーションソフトウェアやコンピュータのハードウェアなどの研究、デザイン、開発、インプリメンテーション(実装)、サポートあるいはマネジメント」(米ITAA)とされています。一言でいえば、コンピュータとインターネットに象徴される生活(やそのあり方)の出現です。「インターネット」は、1960年にその概念が発表されました。まだ、半世紀とちょっとの歴史なのですね。情報量や伝達速度は、常に倍々に飛躍化してきました。「ググる」という言葉に代表されるように、机とパソコンに向かっているだけで、欲しい情報は(その正確さと深度を問わなければ、の前提条件はありますが)、あっという間に提供される時代となっています。紙や活字媒体は、より深く物事を理解したい欲求を満たす対象として、その位置づけも変わって来ています。わざわざ、足を運んで、お金を出す訳ですから。

先日わんこ通信で取り上げた「本の雑誌」は、私が青春期から愛読している雑誌の一つです。新聞、TV、ラジオだけの情報では満足できない故の存在でした。当時購入していた他の雑誌には、「朝日ジャーナル」、「噂の真相」、「ダ・カーポ」、「広告批評」、「平凡パンチ」、「ぴあ」、「GORO」、「POPEYE」、「MACPOWER」、「MAC LIFE」、そしてコミックも「ビッグコミック・スピリッツ」、「少年チャンピオン」、「りぼん」などがあります。

これらの雑誌の合間に、講義のテキストや小説や新書も読んでいたので(単行本は「積読」もかなり多いのですが…)、今思えば相当活字に飢えていたのでした。

これらの雑誌も、「dマガジン」(NTTドコモが2014年6月から提供している有料コンテンツ・サービス)で、インターネット経由で、いつでもどこでも何種類でも読むことができるようになってきました。

でもね。リアル書店も捨てがたいのは、わざわざ足を運んで、良い本を探す為に時間をつぶすことが、妙にほっとするからなのですよ。「書店ガール」(碧野圭さんによる小説シリーズ。2015年春にフジテレビで「戦う!書店ガール」としてTVドラマ放映)ではないけれど、書店並びに関係者の皆さん、毎日お疲れ様です。愛しています。じゃあ、またね。


▲気が済むまで、甲羅干し。
▲気が済むまで、甲羅干し。

2015年9月30日(水)

猛暑が長く続くと思われた夏、あっという間に寒くなってきました。急激な天候の変化に、皆様、お変わりありませんでしょうか。

今回は、Andy Narellのパーカッションつながりで、シーラ・Eについてのお話。といっても、カバー曲です。
ご機嫌なドラミングと艶と迫力あるボーカルによる、ユーミンの「あの日にかえりたい」(2013年、「You & Me」SMJ)。実は、結構な頻度で繰り返し聴いています。海にもお祭り、ましてや花火大会さえ一度も行かなかった夏を懐かしんで(まぁ、行くことも少ないのだけれど…)。

1984年にアルバム「The Glamorous Life」でソロ・デビューしたシーラ・Eは、1957年アメリカ・カルフォルニア州生まれの歌手・パーカッショニスト。プリンス(1958年アメリカ・ミネソタ州生まれのシンガー・ソングライター。ギタリスト、プロディーサー、監督などマルチな才能でも有名)に見出され、そのファミリーとしてライブやレコーディング、PVなどにバンドの一員として出ていました。魅力と才能にあふれるアーティストの一人だと思っています。

「あの日にかえりたい」はユーミンのオリジナル(1975年10月発売のシングルとYUMING BALLAD BEST の小野リサさんとのデュエットの2つ)、マイケル・フランクスのカバー(アルバム OVER THE SKY)も持っていますが、それぞれ見えてくる景色が全く違い、それがまた良いのです。

シーラ・Eは、1985年の「We Are The World」にもボーカルで参加。最近でも、アメリカのTV音楽番組に出演し、健在ぶりがネット上で紹介されています。元気をもらえて、嬉しい。じゃあ、またね。


▲どこかで、見た景色。
▲どこかで、見た景色。

2015年9月28日(月)

小さい時、怖い夢を見て、夜中に飛び起きることが何度もありました。金縛りの恐怖や、夢で足がつって現実にも痛みを感じて目を覚ましたこともあります。

最近は夢を見ません(というか、覚えていないだけなのかも)。そのかわり、日中に「もしあの時、こっちを選んでいたらどうなっていただろうか」とか「今見ている景色は本物?」、「前にも見たことがある」などと夢想します。

タイム・トラベルをテーマにしたドラマや映画が好きなのも、こうした性格からきているのかも知れません。

「Owner Of A Lonely Heart」(1983年、イギリス出身のプログレッシブ・ロックの雄 Yes の再結成後に発表され、大ヒット)が、雑踏を歩いている時や、通勤の電車の中で「想像の翼を広げて」(「花子とアン」ですね)いる時のBGMとして、ぴったりはまります。

ボーカルのジョン・アンダーソンの「ハイ・トーン」でのびやかな声質ももちろん良いのですが、発表当時MTVで流れていたPVが思い出されるからでしょうか。

今YouTubeで見返してみると結構荒削りの映像ですが、現実と夢を行き来しているような演出に釘付けとなり、当時は何度も見返していました。

その後(月日は十数年も隔て)、ウォシャウスキー兄弟による「マトリックス」(1999年)を見た時(ここから始まったといえる様々な革新的な映像エフェクトに、頭を揺さぶられっぱなしの衝撃でした)、この「Owner~」のPVを連想したことを思い出しました。私が体験したデジャブのひとつ、というお話でした。

じゃあ、またね。


▲海を見ていた午後…
▲海を見ていた午後…

2015年9月26日(土)

Andy Narell(1954年、NY生まれ)のスティールパン(Steelpan)の音色は、カリブ海に浮かぶ島の、見渡す限り続く長く白い砂浜にいるような爽快感があります。そこに、青いペンキがところどころ欠け落ちたビーチ・チェア、太陽に向けて斜めに立てかけられた黄色のパラソルの端から、雲一つ無い真っ青な空が見えて、規則正しく打ち寄せる波の音…。

スティールパンは、1939年のトリニダード・トバゴ共和国、サイモンという方によって、修復中のドラム缶から偶然生まれた楽器でした。最初はピンポンと呼ばれていたそうです(なお、1992年に正式に国民楽器として認められています)。その後、様々な人達による改良を重ねることで、打楽器から、華麗なメロディを奏でるマリンバのような位置にまで上り詰めました(あくまで私見ですが…)。

インターネット・ラジオSmoothJazz.com(スマホのアプリで専用に聞くことができます)で、彼の音楽をよく聞くようになって、タワーレコード渋谷店で、CDも買い漁るようになりました。輸入盤しかなかったし、渋谷店の「ヒーリング・ミュージック」の棚で偶然見つけてからは、お金が貯まれば、買い足していったのでした。

実は、アスキー社から1992年頃に出版されていたMAC向けのムック本「HyperLib」におまけでついていたCDに「We Kinda Music」のライブ(QuickTime)が収められていたのでした。彼が演奏している映像は初めてでした。ビックリして、さらに嬉しくなったことを思い出します。

「We Kinda Music」は、1989年に発表の「Little Secrets」というアルバムに収められています(Windham Hill Records)。Andy Narellの最新アルバムは、2009年の「University of Calypso」(米Heads Up)のようです。また、新しい曲、聞かせてね。楽しみにしているから。


▲フィルターもきれいにしたよ。
▲フィルターもきれいにしたよ。

2015年9月22日(火)

数日ぶりのウチの掃除。ダイソンを、大音響で這わせている時、その音量以上にしてロックを流しています。荒削りなギターや突き破るドラムス、そして前に出たボーカルに、体がグイグイ動かされて、サッサと綺麗になっていくような気がします(最近、サッシが交換され、閉め切っていれば、外に音が漏れる心配も無くなりました)。

掃除を終えて、散歩がてら、ロードサイドのレストランへ行ってきました。ひと仕事の後のチキン・ソテーに満足した帰り道、丁度いい感じで、トニー・ベネットとk. d.ラングのデュエットによる「Exactly Like You」が、聞こえて来ました。

別に映画音楽として使われた訳ではないのですが、「ダイ・ハード」のエンディングを連想しました。ノン・ストップの無理難題に立ち向かう主人公、手に汗握る展開の後、事件を終えて、ほっと一息する時に流れるジャズのスタンダード・ナンバー。そして、エンド・ロール。にくい演出です。ちなみに、我が家には、トニー・ベネットの単発物は一枚もありません。このデュエット曲は、2002年発売の共作「a wonderful world」の中の一曲で、お気に入りの一つです。トニー・ベネットは御年88歳。昨年は、レディー・ガガとの共作「Cheek To Cheek」も発売されました。すごいね。


▲丈夫、音もそこそこ良いのでお気に入り。
▲丈夫、音もそこそこ良いのでお気に入り。

2015年9月20日(日)

好きな女性ボーカリストの一人Sade Adu(混乱してしまいますが、彼女の所属するグループ名がSadeです)の "Nothing Can Come Between Us" が聞こえてくると、「ゆきひら~!」と絶叫する、阿部サダヲ扮する捜査一課長が出ているドラマのことを思い出します。この曲自体は、1994年発表の "Best Of Sade" からのもの。彼女の単発のアルバムは全て持っています(何せ寡作なので…/ライブDVDも)。ベスト盤も購入してしまったという訳です。この曲は、1984年デビューのSadeによる1988年発表の3枚目のシングルで、彼女のお得意のジャジーでソウルフルなアップテンポの曲です。同じ年に発表されたアルバム "Stronger Than Pride" に収められました。1959年ナイジェリア生まれのSade Aduは、イギリス移住を経て、今はジャマイカに住んでいるといいます。ミステリアス!DVDで見た彼女は、明かりを落としたクラブのようなステージ、細い体に、モノクロ時代のジャズ歌手のように体の線をはっきり出したドレス、軽やかなステップでステージを浮遊しているようです…そして低く伸びた歌声。ゆきひら役の篠原涼子さん、最近終えたばかりのTVドラマ「探偵の探偵」の北川景子さんにもどこか通じます。

 次に、Oscar Petersonによるかわいらしいピアノ演奏による "I Could Have Danced All Night"(1964年アメリカのミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の挿入歌、主演はオードリー・ヘップバーン)が聞こえてきました。次のステージをワクワクしながら待つ間にかかる間奏のようで、また、良いのでした。じゃあ、またね。


2015年9月18日(金)

散歩のついでに途中の本屋さんに入り、文芸書や人文書、文庫や新書などの新刊の平台を眺めながら、幾つかを手に取ってパラパラとめくってみる…。

新しい情報を手に入れることができるし、何よりも心と体が落ち着くひとときです。

「読書好き」の為の「本の雑誌」というミニコミがあります(1976年4月~今も続いています。WEB版本の雑誌もあります。そういえば、ビジネスマンを対象としたような「ダ・カーポ」という雑誌もありました)。音楽の世界のはっぴいえんどの「日本語によるロック」事件まで大事にはならなかったけれど(そう、それはそれは凄まじい論争があったのです)、本の雑誌社には、文芸評論家の目黒孝二、旅行記や小説で賞もたくさん取った椎名誠、元祖「ヘタうま」イラストレーターの沢野ひとし、弁護士でコメンテーターとして顔を出す木村晋介、エッセイスト群ようこ、当初取次経由でなかったために「配本部隊」として招集された大学生たちの一人沢田康彦、常連投稿者だった中場利一(1994年「岸和田少年愚連隊」で小説家デビュー)などそうそうたるメンバーが名を連ねていました。私も、この雑誌から椎名誠のエッセイ集、「わしらは怪しい探検隊」や「さらば国分寺書店のオババ」、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」、「哀愁の町に霧が降るのだ」などを立て続けに読んだことを思い出します(タイトルを見ただけで、思わず手にしてしまう…この気持ちわかるかなぁ)。今も、本屋や活字に飢えてさまよい歩いてしまうのも、彼らのせい、じゃなかった、おかげなのかもね。じゃあ、またね。


▲早く、晴れてね。
▲早く、晴れてね。

2015年9月13日(日)

すぐにでも雨が降り出そうな、濃いグレーの雲の下、映画を見に行きました。

久しぶりのイギリスもの。1971年生まれの監督によるスパイ・アクション。曇り空のロンドンの街並みが、いかにも地下では様々な秘密がうごめいている、そう思える映像でした。

さて、そのオープニングに、イギリスのロック・バンド、ダイアー・ストレイツによる1985年のヒット曲「Money for Nothing」(全英シングルチャートで最高4位)のイントロ部分が使われていて、思わずニヤリとしてしまいました。この曲は、たまたま休暇中にレコーディングに参加したスティングとマーク・ノップラーとの共作となっています。忘れられないのは、MTVでのコンピュータ・グラフィックによる、レゴで作られたような登場人物達によるアニメーションでした(アメリカではこれが頻繁に放映されたことで、バンドにとって初の全米1位獲得シングルに、MTVでも最優秀ビデオ賞と最優秀グループ・ビデオ賞の2部門を受賞しました)。

タイトルの「Money for Nothing」は、「タダで手に入れたお金」つまりあぶく銭を意味します。歌詞にはスラングも沢山出てきて、先の映画同様(ホント、見てみないことにはわからない…)、屈折したジョーク…歴史と文化に支えられているのだなぁと思わずにはいられません。うーむ、アメリカモノを見て、楽しんでいるだけでは(視野が)狭い、狭いと感じたことでした。じゃあ、またね。


▲我が家の名盤の一つ。
▲我が家の名盤の一つ。

2015年9月6日(日)

私のiPodには結構な割合でライブ音源が入っています。

電車で移動中に、突然ライブ音源が流れると、目の前の景色が一変して、夏の夕暮れ時の、茜色の空をバックにして、波のような歓声に包まれた野外コンサート会場と変わります。

お気に入りのひとつは、1991年のニューヨークのセントラルパークでのポール・サイモン。「アメリカに来たんだ」の歌詞の部分で聴衆が大盛り上がりとなる「America」。

そしてもうひとつが、C,S,N&Yの1970年に開催の3つのコンサートから制作された「4 Way Street」で、「本当に長い曲なんだけど今夜はリアルにスローに演奏するよ」とニール・ヤングがボソっとつぶやくように紹介した後に始まる「Southern Man」です。

「America」は、1968年の「ブックエンド」というアルバムに収録された曲で、1971年にシングルカットされました。その時のB面は「Old Friend」(これも好きな曲です)。NHKで、S&Gを紹介する番組が放映されたことがありました(1969年にCBS系で1969年11月30日に放映されたものです)。その中でドライブ中の車(たぶん、カップル)のバックに流れていたのを思い出します。「ロクパーロクキュー」は、私たちの世代にとっては、様々な出来事と想いが交錯、凝縮した年でもありました。

「Southern Man」は、まるで即興劇のように、ニール・ヤングとステファン・スティルスによるギターの掛け合いが続くのですが、実は、バックのジョニー・バーバータの14~15分の間、全く力が衰えない迫力あるドラミングが何度聞いても良いのです。たまたまですが、2つともメッセージ性の強い曲となりました。

じゃあ、またね。


2015年9月2日(火)

♪~I spend the night in a chair thinking she'll be there But she never comes~♪

絶叫タイプのデヴィッド・クレイトン・トーマスらしからぬソフトな出だしの「Without Her」。アメリカのカントリーの大御所ジョニー・キャッシュのアルバム名「血と汗と涙」をそのままバンド名としたBS&T(1968年~、アメリカのブラス・ロック・グループ)のヒット曲を聴きながら、小雨降る街を走り、喫茶店に逃げ込みました。

この曲は、もともとイギリスのロック・バンド、バッドフィンガー(もとはパンサーズ、1969年に改名)製作のアルバムに収められたものでしたが、アメリカのソングライターで歌手のハリー・エドワード・ニルソン(1941~1994年)がカバーし、1972年に全米No.1となりました(「7オクターブの音域をもつ歌姫」としてデビューしたマライヤ・キャリーも1994年にカバーし全米第3位に)。ニルソンは、アメリカン・ニュー・シネマの代表作のひとつ、アンジェリーナ・ジョリーのお父さんのジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンがカーボーイとホームレスとなり、奇妙な友情を描いた「真夜中のカーボーイ」(1969年公開、第42回アカデミー賞作品賞を受賞)のエンディング・テーマ曲「うわさの男」で一躍時の人となりました。この映画も、不器用な二人のやり取りが滑稽で、物悲しくて、印象深いものでした。

シカゴやチェイスとともにブラス・ロックの一時代を築いたBS&Tには、「And When I Die」や「Spinning Wheel」、「You’ve Made Me So Very Happy」、「Lucretia Mac Evil」、「I Love You More Than You7ll Ever Know」などジャズ系、ロック系、バラードなど様々な曲想のヒット曲がありますが、この「Without Her」のように軽くて、そのくせ歌詞は「彼女に去られた男」と結構ダメダメでジメッとしていて、雨の昼下がりに似合っています。じゃあ、またね。


▲早く、かけてよォ~。
▲早く、かけてよォ~。

2015年8月30日(日)

かつて、はっぴいえんど(1969~1972年の日本のロックバンド)のドラマーだった松本隆さんの作詞家活動45周年を記念したライブ「風街レジェンド2015」がつい先日東京国際フォーラムで開かれました。彼がドラムを担当した「夏なんです」、「花いちもんめ」でスタート、続いて「木綿のハンカチーフ」、「東京ららばい」、「ハイスクールララバイ」、「赤道小町ドキッ」、「スローなブギにしてくれ」、「砂の女」、「ルビーの指輪」などのヒット曲が、これも沢山の参加された歌手・グループによって披露されました(冒頭のはっぴいえんどの曲で、2013年に亡くなった大瀧詠一さんのパートは佐野元春さんが担当)。

彼のヒットメーカーぶりは、このコンサートに結集された多彩な顔ぶれからもうかがわれます(細野晴臣、鈴木茂、さきの佐野元春、石川ひとみ、斉藤由貴、EPO、太田裕美、早見優、稲垣潤一、小坂忠、鈴木雅之、寺尾聡、原田真二、水谷豊、南佳孝、安田成美、矢野顕子、山下久美子、吉田美奈子、そしてバンドとしてギターの吉川忠英、ドラムの林立夫などなど…敬称略)。今後、BS朝日で放送される予定だそうです。楽しみ。

「風街(ろまん)」とは、はっぴいえんどが1971年に発表した通算2作目のLPアルバムのタイトルの通称でした(ちなみに1作目は「ゆでめん」と呼ばれていました)。歌詞に綴られた架空の街=「風街」は、ウエストコースト・ロックを敬愛する彼らの「乾いた」ロック・サウンドとは裏腹に郷愁を感じさせます。

♪~ぼくらが電車通りを駆け抜けると、巻き起こるたつまきで、街はぐらぐら~♪(花いちもんめ)

この45周年記念プロジェクトの一環として制作されたCD「風街であひませう」を購入してしまいました(実は、はっぴいえんどのBOXも我が家にはあるのです)。今日は、ゆっくりと部屋で流します。かしこ。


▲今日の青空は、少し。
▲今日の青空は、少し。

 2015年8月21日(金)

♪~流れ、流れ、鳥は遠くの岩が懐かしくなるのか、高く空を飛んだ~♪と歌うサカナクション(2005年~、北海道札幌市を拠点とする日本のロックバンド)の「ミュージック」は、雲一つない青い空の下、大草原を疾走する男の子の背中が遠ざかっていくイメージです。あの男の子は、一体何を追いかけていたのだろう?

先日TVのニュースで、日本のポップカルチャーとして、「アニソン」、「コスプレ」とともに、海外に有名になった世界最大規模の同人誌即売会「コミックマーケット」、通称「コミケ」が東京ビックサイトで開催中と伝えられていました。第1回は1975年に開催され(8月と12月の年2回開催)、今回は第88回、約60万人もの来場者があるといいます。以前、TVのドキュメンタリー番組で、準備から終了までを追いかけたものを見ました。多くのボランティアに支えられて、整然と進行していくのが印象的でした。創作し人に見てもらう、そのことで自身の「今を生きている」ことを確認する、そのことを多くの共感する人たちが支え合う行為は根源的なものなんだなぁと感じます。

アニメと言えば、唯一、Eテレで毎週日曜日の夕方に放映中の「ベイビー・ステップ」を見ています(2014年に続いて第2シーズン)。原作は、週刊少年マガジンで2007年より現在もなお連載中とのこと。クラスメイトから「エーちゃん」と呼ばれる男の子が、高校に入ってからテニスを始めるのですが、「全てのボールに追いつき、それをコントロールできれば理論的には負けない」として、試合中でもノートにボールの軌跡を事細かく記録しながら、様々に対応して実力をつけ勝ち進んでいきます。これまでのスポーツ系のドラマがどこか自分には無い特別な才能を持った人々の世界を描いていたのとは違い、普通の男の子が科学的、論理的に攻めていく様が痛快です(といっても主人公には並外れた動体視力があるし、最近は恋も夢もとラブコメ風になってもいますが…)。現在、世界を股に掛けた活躍をされている錦織君とも重なりますし、小売業の某会長の言う「仮説と検証」や「変化対応」など、まるで「もしドラ」(2009年のベストセラー、正式なタイトルは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)のようでもあるのでした。時間があったら、見てね。


▲同じ空の下、走ってる。
▲同じ空の下、走ってる。

2015年8月17日(月)

週末、話題の打者を擁する高校の試合が流れていました。1915年に第1回全国中等学校優勝野球大会が行われて100周年の第97回の選手権大会です。将来も大いに期待される長身、しなやかな物腰、そしてチャンスに期待通りに放たれたホームラン…。

私は、「巨人・大鵬・卵焼き」の世代なのですが、それほど野球には夢中になれませんでした(一応「一家に一個」のグローブはあったのですが…)。街なかに住まいがあって、商業地域で空き地も狭く、小学校の校庭は、がたいの大きな上級生が、授業が終わればすぐに陣地を取り、ドッジボールをやっていました。1台しかないTVは親に占領されて、プロレスが好きな父の前では、野球観戦も叶いませんでした。体が小さかったし、ウチの手伝いもあり、運動系に誘われることもありませんでした。

高校野球にはまることもなく、大人になっていくのですが、なぜか1973年ベスト4までいった川越工業の小柄なエース指田投手に強烈な印象を覚えます。決して、剛腕&三振量産タイプではなく、コントロールが良くて、チームに支えられ、打たせてアウトを取るピッチャーでした。たまたま埼玉県の決勝大会をNHKで見て、ひいきにしていたこともありました。元巨人の桑田さんが、NHKのスポーツニュースのインタビューで、「甲子園には神様がいる」と言われていましたが、その通りに不思議な高揚感に囚われたものです。

春のセンバツの行進曲は、恒例により前年のヒット曲「アナ雪」の「Let It Go~ありのままで~」の行進曲アレンジでした。夏は「全国高校野球選手権大会行進曲」と決まっています。

毎年8月の、平和関連のニュースの合間の球児たちの挑戦(実際に昭和16年から20年までは戦争のために中断していました)。すごいピッチャーやバッターにも心ときめきますが、すばらしいチーム・ワークにも期待しているよ。じゃあね。


▲スペインの中硬水なのだ。
▲スペインの中硬水なのだ。

2015年8月15日(土)

元町中華街駅を出て、日差しが強い階段を、木陰の方を選びながら登り、港の見える丘公園に行ってきました。背中のリュックには、家の近くのスーパーで購入したペットの水。公園から港を見下ろしながら、少し飲みました。このペットボトルは、スペインからの輸入品で、きれいな青がガラス細工のようでした。

スペインといえば、真っ先にバルセロナを思い出します(もちろん沢山知られた街や都市もありますし、闘牛や、サッカー、テニス、音楽ではアランフェス協奏曲、カルメン、フラメンコなどもたいそう有名ですけれど…)。今も建造途中のサグラダ・ファミリアやグエル公園、街中の細長い料理店でいただいたパエリア。唯一覚えたスペイン語でオーダー「キエロ、セルベッサ!」によって運ばれてきた、見たことのないラベルのビール。ピカソ美術館も含めて、あっという間の数日間、ほとんど予備知識の無い旅でしたが(ホントは別の者が行く予定だったのです)、懐かしい思い出です。

ジャズ・ピアニストのチック・コリアによる1972年発表の「スペイン」は、ずっと後になって知った曲ですが、好きな曲の一つです。アランフェス協奏曲の静かなイントロから始まり、その後一気にアップテンポでトリッキーなアドリブが続きます。様々なアーティストにカバーされ、我が家にも、渡辺香津美、ウェイウェイウー、トマティートなどのものがあります。それだけ、印象的で、かつ、挑戦しがいのある曲なのだと感じます。

この水がビールであれば、炎天下、グビグビ飲みながらの散歩も楽しかっただろうに…。じゃあ、またね。


▲iPodとしてまだ現役です
▲iPodとしてまだ現役です

2015年8月14日(金)

TVの深夜放送枠の映画で、グウィネス・パルトロー(1972年~、アメリカの女優)主演の「ハッピー・フライト」(2003年公開)をやっていました(グーグルでは日本映画の「ハッピーフライト」の方が最初に、しかも沢山ヒットします)。地方の、家庭環境が少々複雑で、冴えないデパート・ガールが、伝説のキャビン・アテンダントのTVインタビューを見て、発奮し、地方の小さな航空会社に就職し、ついには国際線乗務にまで上り詰めるというサクセス・ストーリーです。

パルトローといえば、1998年の「恋におちたシェイクスピア」で第71回アカデミー賞をとったオスカー女優で、最近では「アイアンマン」のヒロイン役でもヒットしています。その彼女がなんでこんな作品に、と率直に思いますが、様々サポートしてくれる伝説のキャビン・アテンダント役のキャンディス・バーゲンや、挙動不審で、突然大声を発する熱血教官約にあの「オースティン・パワーズ」のマイク・マイヤーズも出ていて、とにかく時代背景には全くタッチすることのない、能天気なコメディで、楽しめました。

2003年と言えば、江戸幕府ができて400周年でした。キムタクの主演するTVドラマでHEROの次に面白かった「GOOD LUCK!!」(主題歌は山下達郎の「RIDE ON TIME」)で1月が明け、「へぇ~」ボタンの「トリビアの泉」やNHKの「プロジェクトX」の放映を毎週楽しみにしていました。音楽の世界では、4月にiTunes Music Storeがスタート、12月には地デジも放送開始となり、アナログからデジタルへと世界を一変させる出来事が続きました。誰もが(それも望めばほとんど一人残らず)、自分の好きな音楽や映画だけを手のひらサイズのスマホに入れて、好きな時に観たり聞いたりできる、そしてそのことを瞬時に友達に伝えることができる世の中が来るなんて、まだこの時は想像できてはいなかったはず。その両方の時代を体験しているからこそ、「ハッピー・フライト」の中のいろんなことに手間のかかるエピソードに、なつかしさや、おかしさを感じることが出来るのだと思うのでした。じゃあ、またね。


▲やっぱり海が好き。
▲やっぱり海が好き。

2015年8月10日(月)

暑い日が続いています。皆様、水分補給と適度な休憩…

熱中症にはくれぐれもお気を付け下さい。

映画館に行く時は、外との寒暖の差も考えて、薄手のパーカーを羽織って行きます。アクション大作を手に汗握って観終わって、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、身も心もクールダウンしました。

その時、iPodから、What a beautiful world this will be~と歌うしわがれ声が聞こえてきました。ドナルド・フェイゲン(1948年~、アメリカのミュージシャン、ソングライター)のI.G.Y.でした。大好きなロックバンドの一つであるスティーリー・ダンのメンバーである彼の1982年発表のソロ・アルバム「The Nightfly」からの1曲です。

ジャスっぽいテイスト、洗練されたリズム、そして乗りの良いメロディ、皮肉、ユーモア、ジョークに満ちた歌詞、そして特徴的な声…どれをとっても私の中では完璧です。

前に、スティーリー・ダンのもう一人のメンバーであるウォルター・ベッカーとともに、スタジオのコンソールを前に、曲作りやバンドに招集したメンバーのこと、その超絶なテクニックなどを解説するDVDを観た時に、見入って(聞き入って)しまったことを思い出します。

I.G.Y.とは、1957年7月から1958年12月までの国際的な科学研究プロジェクト「International Geophysical Year」(国際地球観測年)の略で、太陽の磁気が地球に与える影響を研究するために設立されました。1882年設立の第1回国際極年から続いているものですが、最初はオーストリア=ハンガリー帝国(!)やフランス、ドイツ、ロシア(!)、イギリス、アメリカなど12か国が参加しました。1932年に第二回が設立され、1957年は三度目の招集となっています。

誰もが、科学は人類を幸せなものに導いていくだろうと信じていた時代を歌った曲ですが、その後の度重なる戦争や南北問題、そして環境破壊などを思うと、何のための科学なのか、本当に自由になっているのか…と強烈な皮肉を浴びせられているようです。でもね、だからこそより良い社会を生み出していこうとすることも人類が考え行動していかなきゃね…とも聞こえてきます。いやぁ、奥深い。じゃあ、またね。


▲そこに、誰かいる…?
▲そこに、誰かいる…?

2015年8月2日(日)

新書は、いつも荷物に入れて、移動時間中に読んでいるのですが、小説については、単行本は重たいし、最近は文庫もあまり購入しません(本屋さんにはサスペンスものが沢山平積みされているのに…)。

サスペンスものといえば、この間、NHKで江戸川乱歩(1894年~1965年の推理小説家、本名は平井太郎)の「その時歴史が動いた」のアーカイブが放映されていました。彼のペンネームは、もちろん、エドガー・アラン・ポー(1809年~1849年、アメリカの小説家、詩人、雑誌編集者)が由来ですが、海外の翻訳物しかなかった時代に、日本の風土や文化に根差した推理小説を世に出し、このジャンルの基礎を築き、太平洋戦争下の検閲・絶版などで途絶えたものを復興して、さらに、日本探偵作家クラブの創立(1947年~現在は日本推理作家協会)など後進の育成にも尽力されたとのことでした。

1956年のニッポン放送ラジオ・ドラマ「少年探偵団」で採用された主題歌「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団~♪」(壇上文雄作詞、白木義信作曲)は、その後に度々制作されたTVドラマや映画でも使用されました。再開発前の商店街の裏通りや住宅地にポツポツとあった路地裏や空き地での探偵ごっこ(その実態はかくれんぼ)が懐かしい。

このNHKのアーカイブには、作家の森村誠一さんも出演されていて、「推理小説は社会平和や民主主義の尺度となる」などとコメントしていました。確かにね。


▲どこへ、行くの?
▲どこへ、行くの?

2015年7月28日(火)

Enigma(1990年に結成された、ドイツを活動拠点とする音楽プロジェクト)のT.N.T. For The Brain も、iPodに入れてあるのですが、POPミュージックやスムーズ・ジャズの中で、異色です。目の前の景色が、まるで、映画の「マトリックス」(1999年公開のウォシャウスキー兄弟によるSF映画)の巨大な作り物のセットの中にポッと置かれたようです。

NHKのEテレ「日曜美術館」で、パウル・クレー(1879年~1940年)が紹介されていました。学校の美術のテキストに掲載された、暖色を多用した優しい幾何学模様の作品や「幻想オペラ劇『航海者』の戦いの場面」のようなユーモラスなものなど、「マトリックス」に通じる「ここには無い何か」に惹かれていたことを思い出しました。

スイス生まれの彼は、音楽や文学の才能もあったようですが、絵画で身を立てることに決めて、ドイツに移り、当時の芸術家たちの集まる「バウハウス」(1919年~1933年、ドイツのヴァイマルにあった美術と建築に関する教育機関)で教鞭も取りました。1933年のナチス政権成立後、前衛芸術への弾圧が吹き荒れる中、再びスイスに亡命しました(実際に彼のそれまでの多くの作品は押収されました)。亡命直後は、作品数が激減、その後1937年に復調し、1939年は創作の爆発ともいえる1年間に1253点もの作品を描き上げたそうです。

番組では、宇都宮美術館で開かれているパウル・クレー展から「金色の魚」や「パルナッソス山へ」、「来るべき者」などの作品が紹介されていました。

戦時下にあって、何かに突き動かされたような彼の作品に漂う沈黙や悲痛、そして愛や未来、平和への希望などのイメージが広がりました。じゃあ、またね。


2015年7月26日(日)

スチール・パンの音色が心地良いBGMが流れる喫茶店のスモークのかかった窓から、夏の強い日差しが広がって見えていました。

お揃いの麦わら帽子をかぶった親子連れ。父親の、日に焼けた手、短パンから見える足は、筋肉が盛り上がっていました(自転車乗りか山の人なのか、などと想像していました)。二人は、頭の位置が腰ほどの男の子の手を握って、通り過ぎていきました。「暑いよぉ」、「暑いねぇ」とうなずき合っているように背中が動き、遠ざかっていきました。

クーラーとアイスコーヒーだけではもったいないので、駅のコンコースの本屋で、軽い本をと思って文庫・新書の棚を眺めて、めぼしいのが無くて、結局「本の雑誌」を購入して、読み始めたら、今月の特集は「人はなぜ本を返さないのか!?」。

その昔、先輩から「これが面白いよ」と薦められて、読み始めた「スペンサー」シリーズのことを思い出しました。ロバート・ブラウン・パーカー(1932年~2010年、アメリカのハードボイルド小説家)による私立探偵スペンサーを主人公としたシリーズで、その時早川文庫の一冊(「初秋」だったでしょうか…)を貸してくれたのでした。

ハード・ボイルドとは、文芸用語としては、「暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体」とのことですが、主人公スペンサーの、自立した生活(料理もうまい)、悪に対しては容赦しない(それだけの頭脳や腕力を持つ)、女性と子供については何があっても守り通す姿勢など、ぐいぐいと読んでしまいました。

今、巨体のイメージのスペンサーみたいな男がそばにいたら、圧倒されるし、近寄り難い(時に、暑苦しいかも)。まず、巡り合うことのない人だと思うけど。

じゃあ、またね。


▲木陰で一休み。
▲木陰で一休み。

2015年7月22日(水)

楽器の中では、ギターが好きです。ピアノや管楽器など他の楽器も1台でメロディ、リズムを奏でることが可能ですが、私の中では様々な「顔」を持つギターが一番です。

最初のアイドルは長谷川きよしさん(1949年生まれの盲目のシンガーソングライターでギタリスト)でした。1969年に「別れのサンバ」がヒットしました。もの凄いギター・テクニックと張りのある声が印象的で、まさに聞き惚れます。その後も「黒の舟歌」(1972年)や「灰色の瞳」(1974年)と歌謡曲とは一線を画した曲がヒットしました。

その後は、フォーク、ボサノヴァ、ロック、ジャズと好きなジャンルが広がって来ていますが、ギターがアンサンブルのメインとなっていたり、ロックやジャズのグループでの演奏の中で間奏に入り、ギターの番になってセンターに移ると、人と話している時にも耳や頭がギターの音色やテクニックに集中してしまい、「聴いてる?」と言われてしまうことも。

遠藤賢司の艶のあるフォークギター、CSNYの奥行きを感じさせるオープン・チューニング、ウェス・モンゴメリーのドライヴしたオクターブ奏法、アントニオ・カルロス・ジョビンの軽やかで心地良いボサノヴァ、そしてパコ・デ・ルシアや長谷川きよしさんの情熱的なフラメンコ…。

さて、夏の暑さは、「オーレ!」と叫んで吹き飛ばしてしまいましょう。


▲音楽、聞こえる?…さぁ…
▲音楽、聞こえる?…さぁ…

2015年7月18日(土)

今日は、新作の映画を観に出かけました。映画館のホールに入って暗転になると、お台場の映画館から、出演者と監督の舞台挨拶が生中継されました。その後、いつもの他の映画の新作予告編もないままに、本編スタートとなりました。

TVの芸能ニュースで垣間見るしかなかった舞台挨拶は、演技中の裏話が続くのですが、良いチームだったんだなぁと思わせる、楽しい物でした。もちろんその後の映画も面白かったです。

 さて、映画と言えば、TVでの再放送を含め、「何度も」見たことがあるのはそう多くありません。「卒業」(1968年に日本で公開のアメリカ映画)は、その数少ない、複数回見た映画の一つです。

♪~Are you going to Scarborough Fair?

Parsley, sage, rosemary and thyme,

Remember me to one who lives there,

For she once was a true love of mine.

「スカボロー・フェア」です。この曲は、サイモンとガーファンクルによる、幻想的な歌です。主人公(ダスティン・ホフマン)が好きになって、ある事情により分かれた彼女(キャサリン・ロス)を大学のキャンパスで探し回る際にバックに流れていました。キャンパスを俯瞰するカメラの中で、主人公が歩き回る、その必死さと、都会から遠く離れ、ゆったりとした緑色の情景が対照的でした。そこを、イギリスの民謡をベースにしたこの曲が静かに流れていくのですが、セットになって忘れられません。

今の感覚では、サイモンとガーファンクルの為のPV~カラオケのバック映像のようなもの~みたいともいえるこの映画はニュー・シネマとしてはやりました(同じような印象の映画にバート・バカラック音楽による「明日に向かって撃て」があります)。この作品のサウンドトラック・アルバムは全米1位をとりました。その後、映像に対して音楽を印象的に、効果的に使用するPVやCFの演出から映画監督へとなる人が増えてきました。ということで、じゃあまたね。


▲青い空と風が気持ち良い。
▲青い空と風が気持ち良い。

2015年7月13日(月)

梅雨の合間の猛暑日。今日は、さらに遠出して、みなとみらい駅から横浜ワールドポーターズ、赤レンガ倉庫、横浜中華街、そして横浜公園まで歩きました。今は、横浜公園前のモリバコーヒー横浜山下町店でおいしいアイスコーヒーを飲んでいます。

陽射しが強いけれど、台風の影響か、風も強くて、汗はほとんど出ませんでした。むしろ、喫茶店に入ってから、溜まっていたものが噴き出してきたようです。やれやれ。

横浜ワールドポーターズで、ニール・ヤングの Only Love Can Break Your Heart やキャロル・キングの So Far Away など懐かしい曲が流れていました。

さて、今日はトーリのある鎗が崎周辺について。このあたりは、山あり谷ありの地形で、○○坂と名の付いた坂道も沢山あります。その中で、鎗(やり)のようにとんがった点が鎗ヶ崎交差点というわけです。現在、ご近所にはTVで紹介される様々な洒落たお店が軒を連ねています。

旧山手通りを蔦屋書店方向に少し歩いた代官山交番前交差点近くに、旧朝倉家住宅があります。旧朝倉家住宅は、1919年に、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任された朝倉虎治郎によって建てられた大正期の和風2階建て住居で、関東大震災でも残った貴重な建築物です。この朝倉虎治郎も、この時代を波乱万丈に突き進んだ人物の一人のようです。第二次大戦後に大半の土地を失いましたが、わずかに残った地所が、彼の跡継ぎによってヒルサイドテラスとして存続しています。歴史を紡ぐ人々に思いを馳せながらの散歩も楽しいです。じゃあ、またね。


▲おいしくいただきました。
▲おいしくいただきました。

2015年7月12日(日)

エルトン・ジョンのベスト盤の Your Song (邦題は「僕の歌は君の歌」)がiPodから流れてくる、日曜日の昼下がり。

少し遠出をして、ステーキ・ランチを食べました。

小さい頃は、同級生の中でもとりわけミニサイズだったので、沢山ものを食べることが出来ませんでした。我が家の夕飯はご飯に魚、そしてお味噌汁が中心で、時間をかけてゆっくり食べていました。小学校の給食に出た食パン2枚を飲み込むのも大変。肉は、全般的に、相当な時間をかけて口の中で噛み砕いていかないと呑み込めず、味も無くなった肉の塊のどこがおいしいのだろうかと悩んだりもしていました。

それが、十代も終わりに近づくと、コーヒーは砂糖もミルクも入れずに飲んで、豆の煎り具合を楽しめるようになり、二十代になると塩・こしょうだけの牛ステーキが一番おいしく感じるようになりました。好きな音楽とは違って、おいしさの感覚は変わってくるものです。

エルトン・ジョンは1947年3月25日生まれのイギリスを代表するシンガー・ソングライター。これまで発表されたシングルとアルバムの総売り上げは、あのローリング・ストーンズをも上回っています。Your Songは、1970年発表の彼の2枚目に当たる同名のアルバムからシングルカットされました。なんと Take Me To The Pilot がA面だったのですがB面の Your Song の方がDJによって、好んでかけられたということです。ヒットチャートはUKでもUSでも1位を取ることはありませんでした。しかし、ジョン・レノンにも「僕らの出現以降、最初に起こった新しいこと」と語られたそうです。1997年に当時事故死したダイアナ妃にささげられた Candle In The Wind 1997 が全世界で3,700万枚以上の売上となり、今も破られてはいないシングル史上最大のヒット曲となりました。

さて Your Song ですが、全体が黒の背景で、少し光がかかったエルトンの横顔が印象深いジャケットのアルバムが我が家にあり、その中の、今野雄二氏(1943~2010年、映画・音楽評論家、翻訳家、小説家)による訳詩を観ながら、何度となくステレオ・プレーヤーで再生した記憶があります。

♪~How wonderful life is while you're in the world〜♪ じゃあ、またね。


▲毎日ここを見ながら通ったの。
▲毎日ここを見ながら通ったの。

2015年7月7日(火)

ホール&オーツが、2011年以来4年ぶりに来日するというニュースがありました。

小林克也さんのDJによる「ベストヒットUSA」(1981年からテレビ朝日で放映開始、その後放送局が変わったり中断したりと紆余曲折して、現在はBS朝日やTOKYO MX2で放映中)で最もベストテン入りを果たした、ポップ・デュオで、ブルー・アンド・ソウルと呼ばれるジャンルで最も成功したアーティストとされています。

1965年テンプル大学(米国ペンシルベニア州フィラデルフィアに本部を置く州立大学)で出会い、ということですから50年来の友達同士です。1972年に結成、その後、「サラ・スマイル」、「リッチ・ガール」、「ウェイト・フォー・ミー」など沢山ヒットを飛ばしました。2014年にはロックの殿堂(アメリカ・オハイオ州クリーブランド市にある博物館、殿堂入りはデビュー後25年以上のミュージシャンが対象)入りを果たしました。

つややかで、張りのあるダリル・ホールのボーカルは、とにかく突き抜けていて、色気もあって、大好きです(日本でいうとドリカムの吉田美和が浮かびます)。(最近はBSでたまにあるけれど)日本でのライブがTV放映されたこともありました(我が家のビデオデッキにアナログ時代の画質の悪い録画が残っていて、何度も見直しました)。

数年前に「Ultimate Daryl Hall & John Oates」をダウンロードして、そのほとんどの曲をiPodに収録しています。でも、お気に入りは、2003年発表の「Do It For Love」に収録されたライブ音源の「Private Eyes」。お客さん達の手拍子がクラブ内のやり取りみたいで、いい感じです(そうしたところに行ったことはないのですが…)。

シングルは2004年の「I'll Be Around」、アルバムでは2006年にクリスマスソングの企画もの(「Home for Christmas」)以来新譜が出されていません。きっとプロデュース業が忙しくて、楽しいのでしょう。来日もあるから、今年は何かサプライズがあるかしら。じゃあ、またね。


▲透明になった自分を想像…できない
▲透明になった自分を想像…できない

2015年7月4日(土)

丁度、SadeのSmooth OperatorがiPodから流れてきたので、彼女の妖しい魅力が漂うPVが浮かび、その余韻のうちにSF小説の「透明人間の告白」を思い出してしまいました。

Science Fiction サイエンス・フィクションは、「科学的な空想に基づいた作り話」ということで、アメリカで出版されたSF雑誌「アメージング・ストーリーズ」の初代編集者で小説家、SF作家のHugo Gernsbackが名づけ親です。ヒューゴー賞(1953年に創設)という名で現在にも受け継がれています。1884年ルクセンブルク生まれで、1904年にアメリカへ移り、無線機の販売で起業。1908年に世界初の無線雑誌(!)「モダン・エレクトリックス」を創刊、そして「アメージング・ストーリーズ」創刊に至り、「現代SFの父」と呼ばれるまでになった人生も、かなりアメージングで、想像が膨らみますが…。

さて、「透明人間の告白」。1987年に出版された、H・F・セイントによるこの作品は、残念ながらヒューゴー賞は取っていません(1988年はデイヴィッド・プリンによる「知性化戦争」が受賞)。1992年にチェヴィ・チェイス主演により映画化もされました(こちらは全編笑えるSFコメディでした)。

H・G・ウェルズ原作の映画「透明人間」(1933年発表のモノクロ映画~この年にはあの「キングコング」も公開されました)は、恐怖映画のような記憶が残っています。しかし、こちらは「透明人間の生き方ガイドブック」のようで、とても面白くて一気に読み終えました。河出文庫(上・下巻)にもなっているので、よかったら、読んでね。じゃあね。


▲街の景色、変わってる
▲街の景色、変わってる

2015年6月29日(月)

ユーミンの「あの日にかえりたい」のアコースティック・バージョンは、小野リサによるギターとハスキー・ボイスによるスキャット(主にジャズで使われる、メロディに合わせて意味のない音を即興的に歌う歌唱法)で始まります。


♪~あの頃の私に戻ってあなたに会いたい


荒井由実時代の6枚目のシングル。元歌は、1975年10月5日に発表され、1989年12月21日にCDシングルとして再リリースされました。このアコースティック・バージョンは、2001年発表の「sweet, bitter sweet〜YUMING BALLAD BEST」に収録。ドラマのような歌詞の内容は、1975年のTVドラマ「家庭の秘密」(主人公は秋吉久美子さん)の主題歌に採用されることになって、当初のものから書き換えられたのだそうです。

「あの日にかえりたい」といえばケン・グリムウッドによるSF小説「リプレイ」(1990年7月に新潮社から翻訳本が出版されています)を思い出します。記憶を持ったまま、人生を何度もやり直す男の話です。1988年度の世界幻想文学大賞を取っています(文庫にもなっているので、よかったら、読んでね)。1999年には「君といた未来のために」というタイトルで、堂本剛が主人公でTVドラマ化もされました(アイドルが主人公なのはちょっとと思ったけれど、原作を読んでいたので、どういう結末になるのかなと、結局最後まで見ちゃいました)。

私自身は、まぁまぁかなと思っているので(そして、そこそこ元気で、楽しんでもいる方かなと思っているので)、「あの日にかえりたい」と思うことはありません。でも、もしそうなったら…と妄想を広げることができるSF・ファンタジーは好きです。じゃあ、またね。


▲待ち遠しい!
▲待ち遠しい!

2015年6月27日(土)

週末の雨は、少し気分が落ち込みます。

外に出て、散歩やショッピングと行動的になりたいのに、体が重い。読みかけの本を取り出してもページがなかなかすすみません。

けさの女子W杯サッカーの2試合も、PK戦や1点差の攻防でハラハラしていました。結局、意中のチームが勝ったのでホッとしたのですが、決定的なチャンスを何度か逃し、相手の怒涛のカウンター攻撃に、よけいにモヤモヤしてしまいました(これがワールドカップといえば、そうなのかもしれませんが…)。

まるで「雨の日と月曜日は」みたいに。

♪~Rainy days and Mondays always get me down...

「雨の日と月曜日は」は、1971年発表のカーペンターズの、Billboard Hot 100で2位をとったヒット曲。ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルズのコンビによる提供で、当初は、「アクエリアス」(言わずと知れた、ミュージカル「ヘアー」の中の1曲)で有名なフィフス・ディメンションの為に書かれた曲でしたが、彼らに取り上げられることはなく、カーペンターズに引き継がれ、大ヒットという不思議な経緯を持っています(前に取り上げたロバータ・フラックの「やさしく歌って」でも似たようないきさつがありました)。

こうした過去を持つ曲は、確かに良い曲だけれど、当初の予定通りのままだったら、どうなっていただろうか、などと考えてしまいます。「この人なら」、「この人でなければ」と、「カチッ!」とスイッチが入る瞬間があったのでしょうね。

このわんこ通信を書いている喫茶店では、さっきからボサノヴァがずっと流れています。いつもはポップスばかりなので、気遣ってくれているのかしら…。じゃあ、またね。


▲文中とは違う花だよ
▲文中とは違う花だよ

2015年6月14日(日)

道端の紫陽花も色鮮やかですが、ところどころに見かける個人宅や公共の建物の花壇にも様々な色の花が彩りを主張し始めてきました。

我が家はマンションなので、自宅には、IKEAで購入した「サボテン3兄弟」の内の「二人」が窓際で、静かに時を過ごすにとどまっているのですが、マンション1階の玄関前には、管理組合の理事の方々を中心に、季節ごとに様々な花の種を植えて、目を楽しませていただいています。

花に関する音楽ですぐに頭に浮かぶのは、ユーミンの「ハルジョオン・ヒメジュオン」という曲です。彼女が結婚後、1978年3月に松任谷由実名義で世に出した最初のアルバム「紅雀」の中の一曲で、同時に10枚目のシングルとしても発売されました。ハルジョオンの標準和名は「ハルジオン」。ヒメジョオンとともにキク科ムカシヨモギ属の草で両者ともよく似て区別がつきにくいのだそうです(ちなみに歌詞には「ヒメジョオンに埋もれてくちづけをした」とありますが、ヒメジョオンしか出てきません)。ヒメジョオンは、白か薄紫の、まるで小さなヒマワリのような花を初夏から秋にかけて咲かせます。1個体あたり5万個の種を生産、その種の寿命が35年と、驚異的な繁殖能力をもっているので、駆除が大変なのだとウィキに出ていました。

「わぁ、きれい」の裏にもいろいろあるのね、と思いました。かしこ。


2015年6月7日(日)

今日は、昼過ぎから曇天となりましたが、午前中は、真っ青な空にところどころに浮かんだ雲の白さと街路樹の緑が鮮やかで、思わず、iPhoneのカメラで写していました。いい天気。

さっき、ビル・エバンス(1929~1980年、アメリカのジャズ・ピアニスト)が1962年に録音したアルバム「Moon Beams」に収められた「Polka Dots and Moonbeams」が流れてきて、公園で遊ぶ子供達の声が聞こえてきそうでした。

小学生までは、塾に行くこともなかったので、時間もたっぷりあって、学校から帰って、さっさと宿題を済ませれば、夕飯までは自分だけの時間なのでした。学校の図書室で借りた本(その時のマイブームは「お城」でした)を学習机に向かって眺めていました。でも、すぐに飽きてしまい、近所の男の子達と路地裏や空き地で、かくれんぼや追い駆けっこ、グリーン色のビニールボールでキャッチボールなどをして遊んでいました。

その頃の僕等には「今」しかなくて、いつも時間はあっという間に過ぎていくのでした。茜色になった夕焼け空や金星、時々見える流れ星やグーンと伸びていく飛行機雲、そしてきれいな三角形を保ったまま通り過ぎていく鳥の群れが見えると、一日の終わりの溜息が漏れ、「じゃ、またね」と手を振ってみんな家へ帰っていくのです。切ない。

「Polka Dots and Moonbeams」は、もともとトミー・ドーシー(1905~1956年、アメリカのジャズ・トロンボーン奏者でバンド・リーダー)の楽団の専属歌手だったフランク・シナトラ(1915~1998年、アメリカのジャズ・ポピュラー歌手)の持ち歌でしたが、その後、いろんなプレーヤーや歌手によって演奏されていき、スタンダード・ナンバーとなっていきます。歌は、月夜の晩のダンスパーティーで、水玉模様のドレスを着た娘に一目惚れ…という、アメリカン・グラフィティ(1973年のアメリカ映画、監督はジョージ・ルーカス)のような青春ものです。映画で見た「ダンパ」は、少し大人になった私にとっても縁のないものでしたが、楽しそうな雰囲気や、主人公たちのときめきは羨ましいやら、切ないやら…。

じゃあ、またね。


▲何か、ない?
▲何か、ない?

2015年6月2日(火)

今日も良い天気。ターミナル駅を横切るだけで、多くの家族連れやカップルの、楽しそうな声や、にこやかな顔に出会えて、心が和らぎました。

催し物で賑やかな公園を眺めているのも楽しいのですが、特に企画もない日に、日陰でシートを広げて語らっている家族や、餌にありつこうと寄ってくる鳩をキャキャと歓声を上げながら追いかける幼児達をぼんやり見ている、そんな穏やかな時間も好きです(まだ真夏の刺すような陽射しではないし)。炭酸の泡立つビールの一杯目もいいけれど、ペットボトルの水も結構おいしい。

ふっと、ポール・ゴーギャン(フランスのポスト印象派の画家、1848-1903年)の1897年の大作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれははどこへ行くのか」が頭をよぎりました。

自分の「あの頃」に思いを馳せます。その頃の音楽のイメージは、数軒先のレコード屋さんから聞こえてくる歌謡曲とアメリカ産のポップミュージック、そして、ブルースやジャズなどの黒人音楽でした。親が買ってきたレコードも、子供用の文部省唱歌とともにリズム&ブルースものが多かったような気がします。まだ小学生の時に、レイ・チャールズの「我が心のジョージア」(1979年にジョージア州の州議会により正式な州歌と定められました)の歌詞カードにカタカナで発音を書いてくれていたりしていました。

レイ・チャールズは、1930年の米・ジョージア州生まれ、2004年に亡くなった盲目の歌手でピアニスト。マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズのプロデュースによる「USA for Africa」にも出演していましたし、彼の死後2004年10月に全米で公開されたジェイミー・フォックスによる自伝映画「Ray」、そのサントラ盤もヒットしました。人種差別の激しい南部に生まれ、盲目というハンディを抱えながらピアノを習い、シアトルに移り、クインシー・ジョーンズに出会い、自分のバンドをつくってツアーを開始、1959年に「What I say」と「我が心のジョージア」が大ヒット。成功を収めてからも麻薬で3度の逮捕後、1965年に更生施設に入所、復活を遂げます。

今日は、彼とノラ・ジョーンズによるデュエット曲「Here we go again」(2005年の第47回グラミー賞最優秀レコード賞)を聞いて懐かしんでいました。またね。


▲少し、読もうかな。
▲少し、読もうかな。

2015年5月30日(土)

今日も散歩日和の、歩いていると心も体も浮かれる一日でした。皆さん、散歩に出かけられましたか?どんどん夏が近づいてきていますね。

さっき、ローリング・ストーンズの「Anybody Seen My Baby ?」がiPodから流れて来ました。1997年の彼らのヒット曲。金曜日の夜にTVKでやっていた「Sony Music TV」でもPVがよく流れていました(当時神奈川に引っ越して一番の喜びはこれを毎週観られたことでした)。YouTubeでは、まるで映画の予告編のようにグレーがかったニューヨークの街並み、ビル地下の猥雑なショータイムと、まだ無名だったかっこいいアンジェリーナ・ジョリーのダンサー姿を観ることができます。

この曲は、k.d.ラング(1961年カナダ生まれ)の「Constant Craving」に酷似しているとの噂から、「リスペクトされた」と彼女の名をクレジットして世に出され大ヒットしました。このPVの強烈な印象から、アルバムを衝動買いしてしまったのを思い出します。

さて。この曲だけでなく映画でも小説でも「hide and seek」ものは、心惹かれます。村上春樹さんの最初の羊四部作(1979年のデビュー作「風の歌を聞け」から、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」と続き、1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」まで)も夢中になって読みました。「鼠」や「双子の女の子」、「羊男」…主人公に絡む不思議で強烈な印象を持つ脇役は、これもとても面白かった「ホテル・ニューハンプシャー」や「ガープの世界」を思い出します(1942年米・ニューハンプシャー州生まれのジョン・アービングの作品、この人の「熊に放つ」を村上春樹が翻訳)。

そういえば、最近はインターネットですぐに検索できるので、じっくりかくれんぼも探し物もしなくなったし、小説も読んでいないなぁと思う今日この頃でした。じゃあね。


2015年5月24日(日)

今日は、気持ちの良い風が一日吹いていました。イヤホンを耳に掛けて、武蔵小杉から、中原街道を進んで、多摩川を渡り洗足池までの約5kmを歩いていたら、曇り空からの裂け目から太陽が漏れ、うっすら汗も出てきました。

ゆったりしたTシャツ、黒くぴっちりしたラインの入ったタイツにスニーカーのランナーが何人も通り過ぎていきました。河川敷では、見慣れた学生によるラクロスの練習風景。

洗足池では、乳母車を引いた若い夫婦。近くのグランドで野球の試合を控えた少年たちのユニフォーム軍団。池ではスワンの形をした、二人乗りのペダルで漕ぐボートがゆっくりと横切って行きました。

歩いている時は、The Chemical Brothers の Star Guitar が良いリズムでした(You Tubeで、流行った時の「世界の車窓から」みたいなPVを観ることができます)。彼らの曲は、アンジェリーナ・ジョリー主演の2001年の映画「トゥーム・レイダー」で有名になり、その疾走感の虜になりました。彼女も、曲も、とにかくかっこ良かった。

さて、歩き疲れて、洗足池のベンチに腰を落とした時に、流れてきたのは、エルトン・ジョンの1970年のアルバム Elton John からの Your Song (邦題は「僕の歌は君の歌」)。ラクロスをやっていた彼ら彼女らと同じ大学生の頃の曲です。彼のコンサートでは、今でもレパートリーに欠かさず入っている曲だそうですが、シングルカットされた当時の日本では、ベスト100にも入っていなかったというのが、驚きです。ギターのスリー・フィンガー奏法のようなピアノの出だしと、特異な声質、そして甘い歌詞のラブソングで、当時の喧噪でイケイケの世の中(日本の高度成長期は1954年から1973年まで続きました)とは対極にあり、ひたすら夢想に浸る青春期の思い出の曲なのでした。かしこ。


2015年5月22日(金)

今日もカラッとした暑さの気持の良い一日です。夏が近づいてきていますね。

前回は、キューバのお話でしたが、カリブ海には、すぐ近くにジャマイカもあります。ハリケーンの通り道として海外ニュースの話題になるだけでなく、冬季オリンピックのボブスレー出場を喜劇的に描いた映画「クール・ランニング」や、最近では100メートル競走世界記録保持者のウサイン・ボルトでも有名です。

国名は先住民の、木と水の地あるいは泉の地、ザマイカに由来し、スペイン領となった時の綴りが英語読みとなりました。様々な戦争や侵略、内乱を経て、1959年にイギリスから自治権を獲得して、1962年にイギリス連邦加盟国として独立しています。砂糖プランテーションの労働力として西アフリカから多くの黒人が奴隷として連れて来られたので、国民の9割がアフリカ系ですが、その後インドや中国からの移民も増え、多人種国家となっています。国のモットーは「One Out Of Many」(多くの部族から一つの国民に)。アルミニウムの原料であるボーキサイトの生産量世界第4位。

…と国の紹介が長くなりました。ジャマイカと言えば、レゲエの巨人ボブ・マーリーがすぐに浮かびます。1945年2月6日生まれ、1981年5月11日にアメリカのフロリダで癌により36歳の若さで亡くなっています。iPodに、全米ビルボードチャート1位となった「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、「ノー・ウーマン、ノー・クライ」が入っています。

この曲名を聞くと、英語の授業で聞いた「No Pain, no gain」を即座に思い出します。ことわざの「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ですね。しかし、この曲は、自分の彼女に対して「ねぇ、お前、泣くなよ」と呼びかけている、「ジャマイカ英語」なのだそうです。

But while I’m gone…Everything’s gonna be alright…僕がいなくなってもきっと大丈夫だから。

ジャマイカのことを歌った曲でもう一つ。

ボビー・コールドウェルの、その名もJamaica。1982年に発表された彼の3作目「Carry On」に収められたボブ・マーリーの影響を強く受けたレゲエ・サウンドの曲です。出だしと、最後のピアノの、けだるさを漂わせながらも、彼らしいポップな軽快さが心地良いです。木陰のハンモックに揺られて昼寝をしているような気分になります(といっても体験している訳ではないけれど)。かしこ。


2015年5月6日(水)

風は少し強い時もあり、街路樹の青い葉を大きく揺らしていましたが、日なたは暖かくて、散歩日和でした。
「誰かが君のドアをたたいている」という佐野元春の、友達に話しかけているような歌声がイアホンから聞こえてきて、足取りもいつになく軽くなります。そして、歩き疲れて立ち寄った喫茶店で、しばし妄想…。
オバマ大統領の、これまでのアメリカにとっては目の上のたんこぶ的なキューバとの国交正常化は、何か、田中角栄と周恩来による1972年9月の日中共同声明を思い出させます。テレビのニュースで現地からの映像があり、丁度、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年ヴィム・ヴェンダース監督)の冒頭で見た海岸べりが映って、幸せな気分になりました。あれから15年も月日が流れたんだ。あの時のヘビースモーカーのおじさん達は、当然、この世にはいないのだろうけれど、また映画を観たくなりました。
ブエナ・ビスタとはスペイン語で絶景を意味するのだそうです。どちらかといえばインドア派で、景色に見とれているより、好きな音楽を聞いて、コーヒーを飲んで、買い溜めた新書を読んでいる方が落ち着く私は、絶景とはあまり縁がありませんが、この映画で映る、潮の匂いが町全体を覆っているような、砂利道で、埃っぽい田舎道の片隅のバーであれば、洗いざらしのデニムの短パン、色あせた無地のTシャツ、そしてかかとがほとんどすり切れたサンダル、無精ひげをはやしたままで、1日中、この時のために用意した長編小説を片手に、時々あくびをしながらのんびりしたい気持ちが湧いてきます(文章、長い?)。どうです、だら~とした情景が浮かんでくるでしょう?じゃあ、またね。


2015年4月3日(金)

今年の桜は、4月に入っても元気に咲いています。

中目黒駅から出て目黒川を経てトーリへと続く道。川の両側の人の波、近隣の居酒屋にも沢山の方が繰り出して、春を楽しんでおられました。

ちょっと前の近所の梅も、可憐で良い感じだったのですが(平安時代以前の花見の主役は梅でした)、やはり目黒川を覆い尽くす桜は圧巻です。

さて、卒業式を終えて、入学式、入社式が過ぎて、真新しいスーツ姿の若者を多く見かけます。4月1日には、駅の定期券発行に同期(?)とともに並ぶ姿を見ました。初々しい。

空白の○○年、少子高齢社会、グローバル化、金融危機、格差社会、自然災害、そしてエネルギー問題など、この十年、様々な出来事がありました。明るい未来を予測するのはなかなか困難です。でも、生きていれば、と思うようなことがTEDで紹介されていました。アメリカ、ハーバード大学の心理学者で、幸福学のショーン・エイカー氏は「成功が幸福をもたらすのではなく、幸福であることが生産性や成功の可能性を押し上げる」といっています。そのために行うことは、習慣を変えること。「ありがたく思うことを毎日新たに3つ書く。これを21日間続ける」というものです。ポジティブですね。

花びらをひらひらと風に乗せて、桜の木々が「ちょっと立ち止まって、深呼吸してごらんよ。優しい気持ちになるから」と言っているような気がしたのでした。

じゃあ、またね。


▲共感、してる。
▲共感、してる。

2015年3月4日(水)

ポツリポツリと暖かい日も現れてきました。

早く重たいコートを軽いものに切り替えたいものです(個人的にはポケットがたくさんあった方が、お昼休みなど別にバッグを持たずに済むので助かるのですが…)。

最近、とある雑誌の特集に「あの人が選ぶ、究極の一曲~最後に聞きたい歌。」というのがありました。まるで、土曜日の朝にやっている「サワコの朝」の冒頭のゲストとのやり取りと同じだなぁ、と思いつつも、やはり音楽ネタなので、一通り読み進み、はて、私にとっての最後の曲はと考えました。結論は、毎年現れる新人や新曲に衝動買い(ダウンロード版)をしているので、その度に更新されており、一曲に決められるものではない、というものでした。やれやれ。

日曜日の朝に見るトーク番組「僕らの時代」のオープニングは、ビートルズの「ハロー・グッバイ」で、♪~ハロー、ハローと始まると、何故か放課後の教室で、友人たちとラジオ番組のリクエストの話をワイワイやっていた頃の場面が浮かんできます。誰かがシングル盤を持って来て、教室に置かれた小さなプレーヤーに掛けたのではないかと思います。

この「ハロー・グッバイ」は、1967年11月発表の16枚目のオリジナル・シングル曲で英米でヒットチャート1位となりました。「巨人・大鵬・卵焼き」の真っただ中の時代です。楽器を自分たちで演奏する歌謡曲集団(?)「グループサウンズ」がはやり始めていました。最近話題のジュリーの「タイガース」も作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういちの黄金コンビによる「僕のマリー」が大ヒット。この他の「ブルー・シャトウ」、「恋のフーガ」、「世界は二人のために」、「真赤な太陽」も含めて、明るく、プラス志向の曲が多いのは高度成長期(1955~1973年)を象徴しています。

さて、長いデフレを脱却はしたとされますが、引き続き不透明な先行きに、どんな曲が新たに心に響き、残っていくのでしょうか。


2015年2月9日(月)

毎日、iPodから流れる様々な音楽。そのほとんどを聞き流しています。目の前を過ぎる景色のBGMとして。ふと、いつから音楽がこんなに自分の生活の中で「空気」みたいな存在となってきたのかと思いました。

音楽に対する小さな時のイメージは、学校で教わるもので、自分で楽器(ハーモニカや縦笛)を使い弾くものでした。近所の裕福な家には、ピアノやステレオが置かれており、遊びに行くと、音楽の授業で聞いたクラシックをかけてくれるのですが、どこか違う世界のようだったことを思い出します。

もちろんラジオやTVから勝手に流れてくるBGM、買い物についていく百貨店のBGMなどはありましたが、「自分の物」という感覚は全くありませんでした。

近所に、レコードと楽器を扱うお店がありました(もちろんCDさえまだこの世に現れてはいません)。歌謡曲や外国のポピュラーミュージックがひっきりなしに流れていました。けれど、お金を持って購入するために足を踏み入れることは決してない場所でした(自分でアルバイトをして給料をもらった高校生の時、最初に購入したLPはサイモンとガーファンクルでしたが、それを購入するにもあれこれと悩んだことを思い出します)。

でも、我が家には、親が購入したと思われる手巻きのゼンマイ式の78回転のプレイヤーがありました。小学校の音楽の教科書に出ていた文部省唱歌のレコードが何枚かありました(おそらく、子供の教育にと購入したものです)。何とか合唱団といった子供たちの甲高い声。それ以外に、黒人音楽(R&B)がありました。でも、それを聞いている親の記憶はなぜかありません。

以来、レコードはカセットやCDに、そしていつの間にかインターネットで気軽に好きな旋律や歌詞、そしてアーティストを選んでダウンロードできるようになってきました。より便利に、より早く、そしてより安くという訳です。ステレオプレーヤーからウォークマン、そしてiPodやスマホと機械も便利になってきて、何かの作業のついでに聞き流す…「ながら族」という言葉も死語となるほど、「空気」みたいな存在になってきました。

これが「NO MUSIC, NO LIFE」ということなのかも知れないね。それじゃあ、またね。


▲変な顔って言わないで。
▲変な顔って言わないで。

2015年1月24日(土)

毎日、寒いですねぇ。風邪などひかぬように、暖かくして、お過ごし下さい。

さて、2014年暮れに、たまたま予告されたTV番組(NHK-BSプレミアム「名盤ドキュメント3 はっぴいえんど『風街ろまん』)を録画したのを忘れていたので、最近見ました。

そこでは、はっぴいえんどのメンバーのうちの3名~細野晴臣さん、松本隆さん、鈴木茂さん~が出演され(もう一人の大瀧詠一さんは放映日の丁度一年前に他界)、「夏なんです」がBGMで流れる中、この、ある意味日本の音楽界の転機となった歴史的名盤(当時はもちろんLP)の制作秘話を語っていました。

「風街ろまん」は、私にとっては、歌詞も、リズムもメロディも、楽器の音色、各メンバーの声も皆好きな、完成された作品です(アルバムとして順に最初から最後まで「順番に」、「聴ける」という意味でも)。通称「ゆでめん」に続く彼らの第2弾の作品で、URCレーベルから1971年11月20日に発売されました。URCとは、「アングラ・レコード・クラブ」の略で、1969年に設立された当初は会員制のレコード作成&販売会社でした。その後、インディーズ系のレーベルとなり(1969年からのエレックレコード、1971年からのベルウッドレコードと合わせて3大フォークレーベルと言われていました)、レコード店と直接契約で、制作されたLPを卸していましたが、その後販売は、旧エレックレコード、東宝レコード、キティレコード、東芝EMI、エイベックスと次々に入れ替わっていきます(現在は原盤権をシンコー・ミュージックが、販売権をポニーキャニオンが取得しています)。このレーベルから、五つの赤い風船、遠藤賢司、岡林信康、加川良、高石友也、高田渡、六文銭など、当時のフォーク界の中心的なメンバーがアルバムを出していました(我が家にも購入したLPが複数枚あります)。その中で、「日本語のロック」のはっぴいえんどは異色です。しかし、彼らのライブのバックやアルバム制作に結構な頻度で参加しており、親交は厚かったようです。

さて、番組は、彼らの作品が、当時のアメリカの西海岸サウンドを日本に伝えていたバンドの一つである「バッファロー・スプリングフィールド」(1966年4月に結成され、約2年間活動、メンバーにはその後CSN&Yに連なるスティーヴン・スティルスとニール・ヤングがいました)にならい、個々のメンバーが曲をつくる方針でアルバム制作に臨んだことが語られていました。中でも細野さんが相当に悩みに悩みぬいて「夏なんです」(2003年のソフィア・コッポラ監督による、東京が舞台となった映画「ロスト・イン・トランスレーション」でも流れていました~もちろんオリジナルサウンドトラックにも治められています)を完成させたことなど、当時は大変だったんだろうなぁと思いながらも、今では微笑ましいとしか言いようのないネタが沢山ありました。


2015年1月2日(金)

年が明けました。

東京、神奈川は寒いけれども、雨も強い風もあまりないので、散歩やお出かけの方も多いのではないでしょうか?

今年の抱負…体に気を付けて、楽しくありたい、というお話。

年末年始も開いているお店があり、我が家の近くの新装モールの、大きな屋上庭園に行くと、小さなお子さん連れの家族が多々いらして、賑わっていました。ベンチに座っていると、目の前を元気に右に左に走り回る子ども達がいて、その後ろ姿をiPhoneのスローモーションやタイムプラスで撮って、走る前傾のフォームや、「ギガ走り(早送り)」に感心したり、大笑いしたりしていました。

話は変わります。最近は、「アーティスト選択」でドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム3枚からの曲ばかり聴いています。ドナルド・フェイゲンは、ウォルター・ベッカーとともに、スティーリー・ダン(バンド)を結成し、1972年の「キャント・バイ・ア・スリル」でデビュー、そこからシングル・カットされた「ドゥ・イット・アゲイン」(名曲!)が全米6位と、幸先良いスタートを切りました(我が家にはスティーリー・ダンの4枚組BOXがあります)。最初のうちは、年1枚発表のペースでしたが、完璧さを追求するが故なのか、どんどんインターバルが空くようになり、1977年の大ヒット作「エイジャ」以降、2003年の「エブリシング・マスト・ゴー」までの16年間に2枚しかアルバムは発表されていません。

その途中の1982年に、ドナルド・フェイゲンはソロ・アルバム「ナイト・フライ」を発表します。彼の寡作ぶりは、さらに輪をかけていて、1993年に「カマキリアド」、2006年に「モーフ・ザ・キャット」、2012年に「サンケン・コンドズ」という気の遠くなる間隔となっています。だから、発表されて、即購入(レコード→CD→MP3と媒体の変化もすさまじいです)、聴いてみると、その全てが体に染み入ってくるという感覚があります。そして、その後は何度でも聴いて、楽器の「選択」や「位置」や「演奏技術」に感心したりしています。その度に「すごいね」と思えるアーティストにはそうそう出会えません。

さて、2015年のわんこ通信も、相変わらず、のほほんと不定期にすすめていきます。どうぞよろしくお願いします。


▲大切な人とお過ごし下さい
▲大切な人とお過ごし下さい

2014年12月18日(木)

これまでの最大に近い冬の低気圧、寒気団が日本を覆っています。

冷たい突風や大雪に悩まされている地域の報道が続いています。お気をつけて、としか言いようがありません。

2014年もまもなく終えようとする中、流行語大賞受賞 のニュースが、まさに今年の世相を象徴する2つの言葉を伝えていました。

心温まる事柄や、幸せな気分にさせるニュースが少ないんじゃないかなぁと思っています(もちろん一つ一つは大事なこともわかりますが、不安をあおるように思えるニュースばかりでなく、こうした中でも前向きに生きている、楽しんでいるというようなニュースも均等に拾ってほしい…)。

「21世紀は、LEDの明かりによって照らされるだろう」とは、今年の日本人3名のノーベル賞受賞者へのスウェーデン王立科学アカデミーによる功績を讃える言葉です。

丁度トーリの近くの目黒川で、「青の洞窟」と称して、 真っ青の鮮やかな発光ダイオードのアーチが連日川面を照らし続けており、道行く家族連れや恋人たちが歓声を上げ、あちこちで記念撮影の音が響いていました。

幸せの捉え方は、結局人それぞれだけれど、この川べりに来て、ちょっと時間を止めて、互いの「存在」の意味を考えているのだと思いたいです。自分にとっての大切な人とどう助け合い、守っていくか、とかね。

私にとっての近代は、科学の発展と戦争の歴史が大きくリンクしていたせいもあるのか、ノーベル賞についても、日本人が受賞したとしてもあまり心が躍るようなことがありませんでした。でも、こうした発見・発明は、大歓迎です。

まもなく、クリスマス。大切な人と良い夜を過ごせますように。


2014年10月24日(金)

急に、冷たい雨が降ったかと思ったら、今日は秋晴れで、日の当たる歩道を進むと、体がほかほかしてきます。

あの「あまちゃん」に出演されていたキョンキョンが、「好きな作家」として挙げていた(記憶が定かではないけれど…)石垣りんさんの「ユーモアの鎖国」を電子書籍版で読んでいます。

着々と冬に近づく季節(寒いのは嫌です)、満足できることが少ない毎日、TVのニュースに憤ったりもするけれど、ユーモアが無くっちゃねと、まぁ、日々頑張れるということです。

待つものはこないだろう こないものを誰が待とう(「風景」1983年中央公論社・現代の詩人5より)そう言って憤慨しながらも、会えた時の嬉しさを想い待っている私…という感じです。今日も一日、良い出会いがありますように。


2014年10月5日(日)

暑い夏が懐かしくなるほど、あっという間に秋も過ぎそうです。

台風が近づいていますので、外出の際は、しっかり雨具やブーツを身につけてお出かけ下さい。

ご無沙汰しています。

先週のはじめに、古い友人から電話をもらいました。内容は労基法に関する問い合わせだったのですが、彼も10人を抱える部署のマネジャーとなっていました。まぁ、それにかこつけての連絡だったのでしょう。とても懐かしくて、自分の声も弾んでしまいました。

たまたま、TVの旅番組を見ていたら、そのBGMが結構古い曲ばかりで、旧友と呼ばれる二人の女性と京都の古い街並みによく似合っていました。

その中で、キャロル・キングの「So Far away」が流れ、思わず口ずさんでいました。

この曲は、前にこのブログで「You’ve Got a Friend」を紹介した「つづれおり」からのナンバーで、あまりに何回も聞いていたので、歌詞もほとんど覚えていて、びっくりしました。

So Far Away
Doesn't anybody stay in one place any more?
It would be so fine to see your face at my door
Doesn't help to know you're just time away
Long ago I reached for you and there you stood
Holding you again could only do me good
Oh, how I wish I could
But you're so far away



キャロル・キング(女性)なので、去って行った恋人を想っている昼下がり…というイメージですね。

でも、遠く離れていても、いつまでも友達だよ、元気でいてね、とも思えます。

友達を大切に。じゃあね。


▲休憩タイム。
▲休憩タイム。

2014年8月14日(木)

以前、ユーミンのカバー曲の事を書きましたが、TVや街のコーヒー専門店で流れるBGMで、「聞いたことがある。どうも原曲じゃない。でも、まぁ、いい感じじゃない」となり、で、スマホの「Shazam」などの音楽検索ソフトをすばやく立ち上げて、調べてしまいます。

たまたま、懐かしい♪Killing Me Softly With His Song♪が、聞こえてきました。

邦題「やさしく歌って」といえば、1973年発表のロバータ・フラックの曲が有名です。しかし、ウィキによれば、実はオリジナルは1972年のロリ・リーバーマンが歌い、飛行機の機内BGMとなり、その後、ロバータ・フラックが偶然聞いて、気に入ってカバーしたのがヒットしたということです(おまけに、なんと、グラミー賞の最優秀レコード、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの3賞受賞と、瓢箪から駒みたいなお話です)。

日本でも渡辺美里や南沙織、尾崎紀世彦、ペドロ&カプリシャス、本田美奈子、平井堅などがカバーしています(懐かしい名前が続きました)。

私は、♪Killing Me Softly With His Song♪のhis songの部分をher songと言い換えたアンディ・ウィリアムスのカバーを思い出します。

でも、我が家に残っているCDは、全く別の、UKの「キュリオシティ」のものでした(1994年)。ハスキーボイス、ギンガムチェックのジャケットに足長でスリムのボトム、軽快なダンスのPVがMTVで流れ、スマッシュヒットとなりました。恰好良かったよ。


2014年8月10日(日)

台風の影響で、東京も風が強くなり、空も薄黒くなってきました。

お出かけの際は、気を付けて!

今日、髪を切りに行ったら、店内のBGMにカントリーが流れていました。いつもはハウスミュージック系が定番だと思っていたので、バンジョーの音色が、意外と新鮮でした。

私のiPodもこれまで紹介した音楽以外にスペイン語によるC・アギレラやG・エステファン、コルトレーンやM・デイビスが入っていて、突然切り替わるとドキッとしますが、新鮮です。目の前の景色が、晴天から突然のどしゃ降り、或いは嵐から真っ青の空と白い浜辺に場面が切り替わるような…。

シャーデーのハスキーボイスとジャズっぽいリズムもいい感じに聞こえてきます。

さて、シャーデーは、Sadeと標記するイギリスのバンドで、1959年ナイジェリア生まれのSade Aduという女性ボーカリストを中心に1984年にデビューしました。彼女は現在ジャマイカにお住まいとのことで、最近のアルバム(といってもこれまで出されたのがたったの6枚ととにかく寡作、直近は2010年のソルジャー・オブ・ラブ)は、レゲエの影響もあるようです。デビューアルバムの一番最初の曲が「スムース・オペレーター」、007風のPV(世界を股にかけた色男のお話です)で有名になりました。南の島の夕暮れ時の浜辺、カクテルでも飲みながら、聴きたいものです。かしこ。


▲波の音が聞こえる
▲波の音が聞こえる

2014年7月18日(日)

蒸し暑い日が続いています。

「熱中症に注意」のTV報道も良く観られるようになりました。私は、1日に500mlのペットボトルの水を2本近くは飲んでいます。皆様も、脱水状態に陥って血液がドロドロにならないよう、十分にお備え下さい。

まだ、梅雨明け宣言が出ていないし(ちなみに関東甲信越地方の梅雨明けは、平年は7月21日ですが昨年は7月6日だったそうです)、この連休は雷雨の予想もあるようです。

傘を常時携帯して、雨の日はその後乾くまでは荷物となるし、面倒です。朝晩の通勤時に電車の中で新書や電子書籍も読めず、ただ外の流れる景色を眺めているだけでは、退屈ですし、お昼に食事に出るのもおっくうです(そもそも家を出ること自体が憂鬱です)。

こんな日は、できるだけ明るい音楽を聴いて(iPod)、「想像の翼を広げて」、南の島の海岸で、ビーチパラソルの下、デッキに横たわり、ゆっくりと過ごす(体を休める)イメージに浸るということにしています。

前にも書いたインターネットラジオのSmoothJazz系統の聞き流しです。

ピアノトリオや、ギターが主役のアンサンブル、そしてボサノヴァ(そう、トーリのBGM選曲のポリシーでもあります)。

では、良い週末を!


▲誰か、似ている人がいる…
▲誰か、似ている人がいる…

2014年6月1日(日)

様々なアーティストのカバー曲集があります。クラシックやジャズの世界では当たり前で、指揮者や演奏家毎の解釈による、楽器や編曲、ニュアンスの違いを楽しむものですね。

ポップスの世界では、スタンダードと呼ばれる大昔のものや、故人への敬愛を伴うものが多いようです。どんどん新曲が出されるので、カバー・アルバムは、著作権の調整や、商業ベースに乗せるのが困難なこともあるのでしょう。例えば、毎年、オノ・ヨーコが主催しているチャリティー・コンサートで、息子のショーンも日本のアーティストと共に出ている「ジョン・レノン・スーパー・ライブ」は有名ですが、CDが出ている訳ではないですし。

最近、ユーミンの初期の曲をカバーしているキャロル・セラ(Carole Serrat)という人のCDGOLDENBEST 2004/8)をたまたま発見して、早速購入しました。すっかり気に入ってiPodに入れて、聞いています。夏が近づくと、ユーミンの比較的軽いポップス系の曲を、本場のフレンチポップスのアップ・テンポのアレンジで聴くと、体がウキウキして、心地良いです。「きっと言える」、「たぶんあなたはむかえに来ない」、「ベルベット・イースター」、「ダウンタウン・ボーイ」、「雨の街を」、「あの日にかえりたい」、「卒業写真」…など全20曲と聞きごたえもあります。…でも、「あの日にかえりたい」だけは、別のアルバムのシーラ・Eによるパーカッションが前面に出ているのが好きなのですが。

キャロル・セラという人は、フランス語版のウィキペディアには掲載されていますが、私にとっては謎の多い方です。でもそこがいいのかも知れません。じゃあ、またね。


▲ねぇ、「聞いてる」?
▲ねぇ、「聞いてる」?

2014年4月16日(水)

昨日は初夏のようなとても良い天気で、その温かさが今日も続いています。朝にコートを羽織るべきかどうか少し悩み、結局着て駅まで向かいましたが、もちろんスーツだけのサラリーマンもいれば、薄手のコートをかけた人たちもいてほっとしました(まだ、夜の風は冷たいですし…)。

4月も第3週に入り、新入生や新入社員も、風景に溶け込み始めているようです(つまり誰がニューフェイスか見分けがつかなくなってきたということ)。普通の人々の普通の生活です。

さて、前回の「わんこ通信」で触れた「チャクラ」が掲載された文庫本を明かしましょう。サリンジャーの「フラニーとズーイ」でした。サリンジャーと言えば、野崎孝さんの訳による「ライ麦畑でつかまえて」(白水社、1964年)が有名で、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気を付けて」(1969年)が模倣と騒がれたことでまた読み返された(=再びベストセラーとなった)事件を思い出します。

「フラニーとズーイ―」は1976年5月に新潮社から文庫として出され、「ライ麦畑~」同様に、村上春樹さんの文庫新訳で2014年2月に発刊されました。書店の文庫新刊コーナーで見つけて即購入。アメリカ東部の名門大学に通うグラス家の末娘フラニーと俳優で5つ年上の兄ズーイを軸に、フラニーの恋人とのどこかズレた会話、母ベッシーとのシャワールーム前で延々と続く会話、そしてズーイが自宅のソファーに横になったまま心の殻に閉じこもったフラニーに対し「会話」となるように様々な言葉を投げかけて様々奮闘する…と続く物語です。その中で、キリスト教や仏教の教義、ヨーガのチャクラが引用されています。

冠婚葬祭以外、日常的には、あまり宗教を意識しない者にとっては、ひとつひとつの会話は確かに面白いのですが(聖書、ブッダの教え、哲学者の言葉などの多数の引用に、「よく読み込んでるなぁ」、「兄弟や沢山の友人たち、先生らと『生きること』や『人生』について日頃から話し込んでいるのだなぁ」と驚きました)、「なんでこんなことに悩むのか」、「これほど話しても理解できないの」などと腑に落ちない部分もありました。でも、様々な考えに出会い、相対化する(そういう見方もあれば、こういう考えもある、やってみてさらに検証してみる)ことは大事。チャクラもつまりは先人の検証の結果の一つと考えれば、ね。かしこ。


▲話しかけないでね。
▲話しかけないでね。

2014年4月10日(木)

目黒川周辺の桜も随分と落ちて、花びらは道路に「ふりかけ」みたいに散らばり(堆積すると茶色になっています)、枝の方は葉の構成比が高くなってきています。名残惜しそうに、携帯やスマホをかざしてシャッターを押す人達が橋の欄干に幾人ももたれかかっていました。川の両端の「目黒川桜まつり」のピンクの提燈の方が盆踊りの時のように目立ってきています。やれやれ。

さて、丁度その時に、iPodからノラ・ジョーンズの「Not Too Late」が流れてきました。2007年発表の彼女の3枚目のオリジナルアルバムのタイトル曲(全てオリジナルだそうです)。このしっとりとしたトーンの曲は、恋人が出かけた後に「これからどうなるのかなぁ」と様々な思いを巡らすラブソングと思います。どこかのウェブサイトでインタビュー記事が掲載されていて、「手遅れじゃない」というのは、世の中の様々な問題に対してのメッセージでもあると本人が語ったようです。要は、あきらめずに、考えてみようよ、ということらしい…。

最近、世の中のことを「知りたい!」と新書ばかりを読んでいましたが、ひさしぶりに文芸書、それも翻訳本を読み始めました。ストーリー性のあるものは海外ドラマなどTV視聴だけだったので、本当に数年ぶりです。TVのシーンの展開(一話完結の刑事ものや法廷ものなどすごく早い!)とは違って、ページをめくるのもかったるくて読み続けられないのではと思っていたら、通勤途中のみで半分以上読めたので、びっくりしました。確かに、Not Too Late(!)

その中で「チャクラ」の話が出てきて、また、びっくり。次回(以降)にこの話をするね。じゃあね。


▲サクラも終わりだねぇ
▲サクラも終わりだねぇ

2014年4月7日(月)

中目黒から桜の花びらが、まるで「花紀行」(荒井由実、コバルトアワー、2000年)のようにひらひらと落ちるのを眺めながら、トーリに来ました。さすがに週初めでは、人通りもまばらです。

4月に入り、様々な駅改札周辺の夕方は、サークルの新歓コンパの集合場所として笑顔や歓声で賑わいます。季節としても人生の中でも、思い出として体に刻まれる瞬間です。友達や大好きになる異性との〜胸の高まる、ないしは頭の端でカチンと音が鳴る、あるいは息苦しくなる〜出会いです。生涯の良き友に巡り会えるように。

友と言えば、キャロル・キングが作り、ジェームス・テイラーの「You’ve Got A Friend」を思い出します。1970年発表の「Sweet Baby James」がヒットしたジェームスが、同年発表のキャロルの「Tapestry」に収録された「You’ve Got A Friend」をカバーして、私もまずこちらを聴き始め、次にキャロル盤を聴くことになったのでした(この「つづれおり」は1972年のグラミー賞主要4部門を取りました)。花粉症の鼻声のようなジェームス、ハスキーだが力強いキャロルと曲の印象は違いますが、どちらも大好きです。この曲が流れると学生時代の友人達の顔が浮かびます(しかし、ウィキで見るとものすごく沢山の方にカバーされているようです)。この曲のように、「君が、落ち込んで、悩んだ時、いくばくかの思いやりを必要としている時、全がうまくいかない…そんな時は、目を閉じて、僕のことを考えて見て。僕はすぐに飛んでいくよ。君にとって真っ暗な夜に火をともしてあげられる」とまではとても行かないけれど、できることはやらせてもらう。Have a nice day!


▲サクラサク。
▲サクラサク。

2014年3月31日(月)

4月1日を明日に控えて、中目黒の桜は満開近くで、夕方の川の両脇は人々で埋まっていました。

通りすがりにiPodからWhat is Love?とシャウトするイギリスの男性ボーカルの曲が流れていました。恋人たちの春が来たという感じです。

Googleで調べてみるとモーニング娘の同名の曲が出て、面食らいますが、この曲は1955年イングランド生まれのハワード・ジョーンズによる1983UKで2位にまでなったヒット曲です。

君がどう思おうと、僕は君を愛している~

なんてシンプルで率直!

1983年は、NHK朝の連続テレビ小説第31作で、視聴率(平均で52.6%の視聴率は統計史上TVドラマの最高)も、その後の反響もすさまじかった「おしん」が放送された年です(4月)。同じ月に東京ディズニーランドが開園しました。商品では、今もヒットしているコカ・コーラの「アクエリアス」、大塚製薬の「カロリーメイト」、カシオの「G-SHOCK」、任天堂の「ファミコン」などが発売されています。我が家にも黄色いLPレコードがある、YMO12月に日本武道館で散開コンサートを開いています。そうそう、5月にローマ教皇が、地動説を支持したガリレオ・ガリレイに対する宗教裁判の誤りを認めました。自然も人間の力もすごいねと感じた夜に。じゃあね。


▲いっしょだよ。
▲いっしょだよ。

2014年3月26日(水)

春一番が吹き荒れてから数日が立ち、気温も上がってきました。入学式にふさわしい桜も咲いてくることでしょう(昨年はこの時期強風もありすっかり散ってしまいましたね)。

駅前の書店に入り、前に別の書店で気になっていたNHKの英語テキストを買いました。入口の話題書のコーナーに飾られていて、パラパラとめくるとスティーブ・ジョブズの記事が目についたからです。

そこには、

もし君が今日買い物に出かけるとすると、そこには多くの種類の新しいコンピュータやタブレット、スマートフォンがどこにも置かれている。コンピュータなしの生活なんて考えられない。そんなに遠くない過去、コンピュータはとても巨大で、わずかな者しか使うことができなかった。今日する話は、スティーブ・ジョブズについてだ。彼は誰でも使えるコンピュータを創り上げることによって、世界を変えた…という出だしで始まるコラムがありました。

最初にMacと出会ったのは、1980年代の後半、個人ユースのコンピュータとしてアップルのSE/30が登場した時でした。ジャーンという起動音の後、小さなブラウン管の中央に右上がかじられたリンゴマークが浮かび上がってきました。

全てが革新的でした。マウスが標準装備され、ワープロ、表計算やデータベース、お絵かきも音楽もパソコン通信もゲームもこれ一つでできたのです。現在のiPadの原型がそこにはありました。画面に表示される文字や絵と印刷されたものを同様に扱うことが可能なDTP(デスクトップパブリッシング)という用語もアップルのマシンの為にあったようなものです。

わくわくするマシンでしたが、こつこつ小銭を貯めて、ようやく購入できたのはさらに数年後でした。同時にデスクライターという名のプリンターも購入し、毎日家に帰っていじくりまわすのが楽しみでした。OSのアップデートは必ずと言っていいほど不具合が生じて、パソコン通信のフォーラムで解決法が出る度に試す日々も、やんちゃ坊主のようで、人間味(?)がありました。

あれから20年以上が経った今もアップル社製のマシンに触れる日々です。技術革新が続く中、パソコン通信からインターネット、そしてSNSと情報の伝達速度や範囲は世界を巡る時代となりました。しかし、マンマシンインターフェイスの仕組みはマウスからタッチコントロールくらいしか変わってはいません。家や仕事場では相変わらずディスプレイやキーボード、マウスのスタイルです。世界が変わった場面に自分がいた、ということだけでも嬉しくなってしまいます。じゃあね。


▲アイスをおくれ。
▲アイスをおくれ。

2014年3月17日(月)

暖かな一日でした。今日は、コートをダウンから少し薄手のものに着替えて出かけました。
梅の花がどこでも見られるようになり、大雪が降り積もった日々も忘れてしまい、大学入試~卒業式~入学式と、今年も一気に過ぎてしまいそうです。
温かくなると、どこでも眠気がやってきます。帰りに乗り過ごしなどなさらぬように、面白い本を買って読みましょう(面白過ぎて夢中になってやっぱり乗り過ごしというパターンもありますが…)。
我が家では、夕食が済んで落ち着くと某社のアイスクリーム、マカダミアナッツとメルティ―キャラメルを食べながら、録画済みのドラマを見て過ごします。おいしいし、ドラマも面白い、至福のひと時です。そうそう、キャラメルで思い出しました。
♪〜 It won’t do To dream of caramel, To think of cinnamon And long for you. …という出だしで始まる、けだるい、ちょっとハスキーボイスのスザンヌ・ヴェガのCaramel。ユマ・サーマン主演の映画「好きと言えなくて」(1996年)、ナタリー・ポートマン主演の「クローサー」(2004年)に使われていました。どちらも効果的、印象的でした。


おいしいものは忘れない。おいしいものに出会いたい。
おいしい生活、というお話でした。かしこ。


▲成績が、何だって?
▲成績が、何だって?

2014年3月5日(水)

とある国立大学が「優の乱発防止で来年度から相対評価採用」との記事がありました。この記事で、周りと学生時代の成績評価について盛り上がりました。記事は、諸外国の大学との関係で、優は上位3割程度にとどめることで学力向上を目指す、全学で統一する、などとしているようです。
我々の学生時代は、理解度を示す絶対評価だったと思いますが、話は結構笑えるものでした。曰く、「学生時代はあまり勉強をしなかった。でも、答案はとにかくぎっしり書いて埋めたら単位もらえた」とか、「想定される答えと全然違う視点で書いたら、先生に赤字で『君は慢心している、落第』と書かれて返却された」とか、「学生運動でキャンパスが封鎖され、全教科レポート試験になって、その年は押しなべて成績が悪かった」とも。
色々聞いてみると、運不運のような世界です。
大学のゼミ仲間とは、未だに先生を中心に毎年会っています。先生は名誉教授となられた今も、専門領域を深めるために定期的にイギリスに行かれています。集まりの冒頭のご挨拶で、「外側から見た日本」をお話しになります。なるほどと納得するとともに、知らないことも多くて、やれやれと思うことも。
知識の蓄積が薄かった学生時代であっても、これまで何とかなったな(そう、何とかなるものです)。しかし、これからは、ねぇ。埋め合わせしていかなくちゃと思う今日この頃です。


▲留守番中。
▲留守番中。

2014年2月5日(水)

おだやかな一日だなぁと思っていたら、みぞれが雪に変わり、今日は、道端に氷となって残ってる(!)一気に気温が急降下しました。風邪が治りかけましたが、今日は何回か鼻をかむことになりました。この冬はいつもの年に比べてあなどれません。インフルエンザも急激に増えているようです。毎日のうがいや手洗い、そして外出時のマスク着用など、十分にお気を付け下さい。
仕事の帰りに、iPodで自分の編集した音楽を聴きながら、リアル本や電子書籍を見ているのですが、クリスティーナ・アギレラのスペイン語による歌声(ア ルバムのタイトルはMi Reflejo)が聴こえてくると、毎回体が震えるほど感動します。プロですから当然うまいのですが、思わず鼻歌で「同調」したりして。
アギレラは、1980年12月18日NY生まれで、グラミー賞もとりました。ロック界の大御所シェールと共演した映画「バーレスク」を思い出します。身長156㎝と小柄ではあるけれど、舞台での歌声は、声量、表情ともに豊かな一方、普段のかわいらしい佇まい、仕草とのギャップが大好きな歌手の一人です。
ソロになったグロリア・エステファンも同様のスペイン語アルバムを何枚も出しています。これもまた、全身から絞り出される歌声が、ズシリと来るので、ファンも多いのでしょう。体が凍える冬だからこそ、中南米の「情熱的な歌詞・歌声」に浸ってみましょう。自然と体も動いて、血の巡りも良くなるかも。じゃあまたね。


▲友だちが来た。
▲友だちが来た。

2014年1月23日(木)

年が明けて、初めてのわんこ通信です。

今年も「のほほ~ん」といきます。よろしくお願いします。

お昼に外を歩いていたら、少しずつ咲き始めた梅を見ました。

寒い日が続きましたが、ちゃんと春の扉を開ける役割を果たしているのかと思うと、

けなげでよいなぁと足を止めてしばし眺めてしまいました。よしよし。

季節の変わり目というのもありますが、進学、進級、就職、昇格や配置換えなど、

新たな世界へ飛び出していく方々も多いことでしょう。

こつこつと積み上げていくことも大事ですが、新たな出会いとともに、

気持ちを切り替えて挑戦していくことも素晴らしいです。

「フレー!」エールを送ります。

これからは三寒四温の時期に入り、温度差に注意です。気を付けてね。

さて、今日1月23日は、「電子メールの日」。毎月23日は総務省が1979年に制定した「ふみの日」ですが、1月は「いいふみのひ」で、電子メッセージング協会が1994年に制定したものだそうです。1年を通じて、人に対して送るメッセージで手書きのものは、年賀状だけになっていたりしていますね。「筆不精」も死語になりつつあるかも。じゃあまたね。