鎗ヶ崎わんこ通信 2016年3月

▲いつまで見つめているつもり?
▲いつまで見つめているつもり?

2016年3月29日(火)

ポップスは、一番フィールドが広いと思っています。「(こんな時って)あるある」、「これこれ(とツボにはまる)」というように、長く暮らしている家族のように受け入れて、気持ちを代弁してくれます。要は共感しているのですね。

さて、最先端の電子技術を駆使したのがテクノ・ポップ、いわゆる「ピコピコサウンド」にも触れておかないとね。

♪~君に胸キュンキュン、浮気な夏が僕の肩に手をかけて~♪

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ、1978年から1983年の「散会」まで、その後再結成…しているのかな)のK化粧品のCMソングとして1983年に大ヒットしました(当時を背景にしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」でも流れていましたね)。

YMOは前にドイツのクラフトワーク(1970年~)とともにここで書きました。YMOは、R大学の先輩・後輩の関係の細野さんと高橋幸弘さん、そして「教授」こと坂本龍一さんを中心としたテクノ・ポップのユニットでしたが、はっぴいえんど出身の「日本語のロック」の細野さん、初めて日本人のグループとして海外に進出した(個人では1963年の「スキヤキ」こと「上を向いて歩こう」の坂本九さんでしょうか)サディスティック・ミカ・バンドのドラマーだった幸弘さん、そして東京芸術大出身の龍一さんが集まったことで、シンセサイザーにアジアンテイストを込めたオリエンタルな世界に私たちを誘ってくれたのでした。「君に胸キュン」で歌謡曲にだいぶ近づいたおかげで(作詞は松本隆さんでした)、この流れは、その後もTM NETWORKから始まる小室ファミリー(安室奈美恵さんや篠原涼子さん、華原朋美さん、グループではtrf、globeなど)やSPEED、宇多田ヒカル、そして、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ、サカナクションなどに引き継がれていったようです。

YMOでのお気に入りは、「チッチキ、チッチキ…」と「パカラッ、パカラッ…」の「ライディーン」(1980年発表の2枚目のシングル)です。目をつむるとモンゴルの草原を走り去る馬の群れが浮かんできます。リズムやメロディに国境はない、ということね。じゃあ、またね。


▲今日も月に見つめられている。
▲今日も月に見つめられている。

2016年3月25日(金)

♪~Do you remember, the 21st night of September? ~♪とくれば、アース・ウィンド・アンド・ファイヤー(以下EW&F)の1978年のヒット曲「September」。

最近のウェブに出ていたインタビュー記事で、ドリカムの中村正人さんが、EW&Fについて興味深いエピソードを語っていました。リズムやバック・コーラス、ホーン・セクションの使い方などが良く似ていると思っていたので、「なるほど」というお話です。探してみてね。

ポップスは、そもそも大衆に受け入れられて育ってきたものなので、どこかしら「懐かしい」と感じる曲は、探ってみれば過去の曲のヒントが含まれていても、「そうだよね」、「やっぱり」としか言いようがありません。逆に特異なオリジナル曲は、受け入れられずに、ずっと埋もれたままっていうこともあるだろうし。少し昔、ローリング・ストーンズの、アンジェリナ・ジョリー出演のPVでも有名となった「Anybody Seen My Baby?」(1997年)でもK.D.ラングの名がクレジットされていました(彼女の「Constant Craving」のサビが酷似、ということで「リスペクト」ということだそうです)。

アース・ウィンド・アンド・ファイヤー(1969年~、アメリカ出身)は、ボーカルのモーリス・ホワイト(1941年アメリカ生まれ~2016年2月3日死去)が率いたツイン・ボーカル+重厚なホーン・セッションによる大所帯(10人編成)のバンドでした。70~80年代のディスコ・ブームに乗って、全盛期を迎えました。現在も活動は継続していて、グラミー賞に6回受賞、2000年にはロックの殿堂入りを果たしています。彼らの音楽は、R&B、ファンク、ソウル、ディスコ、ブラック・ミュージックと様々な顔を持ちます。アメリカの長寿ディスコ番組「ソウル・トレイン」の常連でもありました(放映は1971年から2006年まで35年間も続きました。なんと、YMOもワールドツアー中の1980年に出演を果たしています)。日本でも1970年代のディスコ・ブームの中心的な番組として東京12チャンネル(当時、現在はテレビ東京)で4年間放映されました。動いているジャクソン5を最初に見たのもこの番組でした。

とにかく、テーマが宇宙、愛なので、これ以上最強のものはありません。じゃあ、またね。


2016年3月22日(火)

中国の伝統的な擦弦楽器の一つ「二胡」の哀愁漂う音色を聞くと、かつてTBSで毎週楽しみに見ていた「JIN-仁-」を思い出します。

この深くて強い旋律に初めて会ったのは、1987年公開の映画「ラストエンペラー」でした。端正な面立ちの最後の皇帝・愛新覚羅溥儀役のジョン・ローンや幼少時代を演じた子役たちも含めて、登場人物、背景の配色が品の良い映像でした。それ故に歴史に翻弄される人たちのもの悲しさが際立って、記憶に留めているのかも知れません。1972年の「ラストタンゴ・イン・パリ」で知られた監督ベルナルド・ベルトルッチは、第60回アカデミー賞9部門を総なめにし、音楽と劇中の日本軍人役を担当した坂本龍一さんも日本人として初めて作曲賞を受賞しました。

持っているアルバムは、ウェイウェイ・ウーの「メモリーズ・オブ・ザ・フューチャー」(2002年)だけですが、プレイリストに入れている表題曲は、帰りの夕暮れ時の川を通り過ぎる電車からの夕焼け色に染まった景色によく似合っていて、印象派の絵画や大河ドラマのエンディング・ロールを見ているような気がしてきます。

ウェイウェイ・ウーは、NHKで現在も毎週放映されている自然界の動物紹介番組「ダーウィンが来た」のエンディングテーマも担当されています。

「JIN-仁-」は、隠密剣士、赤影、銭形平次、水戸黄門、鬼平犯科帳くらいしか思いつかない民放での久しぶりの江戸時代を舞台にした時代劇で(といってもSFだけど)、シーズン1&2とも、我が家では熱狂的に見ていました。主人公もよかったけれど、当時流行った天然痘の治療で、江戸の町を救った緒方洪庵役の武田鉄矢さんのセルフ「南方先生の寂しさに比べれば、私などいかほどのものか」が忘れられません(奔放な坂本龍馬役の内野聖陽さんも適役でした)。また録画を見たくなっちゃった。じゃあ、またね。


▲今年はいつ咲くのかな?
▲今年はいつ咲くのかな?

 2016年3月18日(金)

ジャズ・ピアニスト、上原ひろみ(1979年、静岡県浜松市出身、米国在住)を最近TVで見かけました。世界を股にかけて演奏旅行中ですが、新アルバムのプロモーションに日本に立ち寄り、様々なメディアに集中的に出演されていたようです。

TBS系のドキュメンタリー「情熱大陸」(葉加瀬太郎さんによるテーマ曲でも有名なドキュメンタリー番組です)でその存在を知りました。2003年10月の放映とのことなので(アルバムデビューは「Another Mind」でその年の4月)、すでに10数年が経ち、現在36歳のベテランです。NHKの「SONGS」で2011年11月に矢野顕子と共演したのも見ていました。

以来数枚アルバムを購入しました。16歳の時に、あの「スペイン」のチック・コリアに才能を見出され、彼の来日公演の最終日に共演も果たしたという天才です。小さな体で、時に繊細に、時に荒々しく演奏するさまは、目が離せなくなります。

スタンリー・クラーク(ベース)のチームに入ったアルバム「THE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMI」で、2011年に第53回グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」を受賞しました。

♪~ラーメンたべたい、ひとりでたべたい、熱いのたべたい~♪

そういえば二人ともニューヨーク在住のご近所さんでしたね。じゃあ、またね。


2016年3月14日(月)

TVK(テレビ神奈川)の毎週金曜日深夜は、3時間ノンストップで放映されていたソニー・ミュージック・ティーヴィー(MTV、1983~1994年)を欠かさず見ていました(もちろんベータで録画して、さらにカセットにダビングして週末は過ぎていくのでした)。これを見始める前の唯一の「音源」は、TBSラジオの洋楽ランキング番組「ホリデイ・イン・ポップス」(DJは八木誠さんや若山弦蔵さん)でした。さらに、中村とうようさんが編集長の月刊誌「ニューミュージックマガジン」(1969年創刊、1980年から「ミュージック・マガジン」に誌名変更)を読み始めることで、私のポップス世界は補強されていったのでした(ちなみに楽器はヤマハのギターと日本のフォーク一筋)。

MTVは、アメリカから送られた最新のヒット曲を知るだけでなく、若手の監督を起用して斬新な手法によるプロモーション・ビデオ(PV)を見るのも楽しみでした。マイケル・ジャクソンの「スリラー」は、一体何回観たことでしょう。

いまだに、印象に残っているビデオの一つは、プレイリストにも入っているフリート・ウッド・マック(1967年、イギリス)の「BIG LOVE」(1987年)。

♪~Lookin' out for love, In the night so still. Oh I'll build you a kingdom, In that house on the hill.~♪

丘の上の宮殿の前での演奏開始から、特徴的なドラミングに合わせてカメラが引いていき、背景はどんどん変わり、とうとう宇宙空間まで行ってしまいます。そして、途中からは時間を遡るような逆回し、曲のエンドでスタートラインに戻るというSF映画のようなつくりでした。しかし、「大いなる愛」って…。皮肉めいた展開のPVでは、手に余る、って感じなのかしら。YOU TUBEでも見られますので、ぜひご覧ください(ボーカルのリンジーのギター・ソロ・ライブのもあります…こっちもすごいよ)。じゃあ、またね。


▲道端の赤い星(ウグイスカズラ)。
▲道端の赤い星(ウグイスカズラ)。

2016年3月10日(木)

Appleの創始者のスティーブ・ジョブズの映画が2月に公開されました。

Apple製品にはこれまで沢山お世話になってはいるのですが、残念ながら、なかなか時間が取れず、まだ見ていません。

映画は、「マッキントッシュ」、「NeXT」、「iMac」と3つの象徴的なプレゼンの舞台を映し出したものだそうです(最近のものはiTunesのビデオで公開されていますね)。

実は先日、配信映画で、別のスティーブ・ジョブズ(2013年、主演はアシュトン・カッチャー)を見たのでした。自宅のガレージからHPからドロップアウトした友達(ウォズニアック)と一緒にパーソナルコンピュータを製作し、AppleⅡで、一挙に億万長者となり、マッキントッシュ開発途中で、追い出され、iMacで復帰するまでが、淡々とつづられています。今回の映画と大きな違いは、ほとんど全ての登場人物が「再現フィルム」のように、似た俳優を配置して作られていることです(エンドロールで、それぞれの本人と対比した写真が流れて、微笑ましかったです)。今回の公開は、「中身が大事」と言っているようなものなのでしょうね。

ジョブズという人は、発明家というジャンルの人ではなく、コンセプター、「指揮者」、プロデューサーのような位置の方だったように思います。「豊かな生活」のイメージがあり「そこに置かれたモノ」の機能とデザインを考え、提示し続けたのでした。かつてはラジオやウォークマンを世に出して席巻したソニーもそういう会社だったはずなのにね。大きくなれば、危ない橋を渡れない。むずかしい。じゃあ、またね。


▲君の愛に支えられている
▲君の愛に支えられている

2016年3月8日(火)

♪~You and I must make a pact, We must bring salvation back. Where there is love. I’ll be there.~♪

ジャクソン5(初期は1962~1990年、その後に二度再結成)の1970年のヒット曲「I’ll be there」です。ジャクソン5は、1969年10月に「I Want You Back」でメジャーデビュー、いきなり全米チャート1位となります(その後、「ABC」、「The Love You Save」、「I’ll Be There」と4曲続けて1位に)。

当時12歳のマイケル・ジャクソンの、可愛らしいしぐさ、そしてその小さな体からはとても想像できないハイトーン・ボイスによって、一気にショー・ビジネスの頂点に上り詰めました。

好きな曲の傾向で最大の構成比を占めているのは、何といってもポップスですが、キング・オブ・ポップと言えば、マイケル・ジャクソン(1958年アメリカ生まれ、2009年死去)を置いて他にはあげられません。1970年代から2010年代まで5つの世代で全米トップ10シングルを持つ唯一のアーティストでもありますし。

ここまで、有名になるとゴシップでも事欠かないし、パーソナルな部分も裸にされる中で、曲作りへの情熱の維持、期待に応え続ける精神力は驚異的。私にとっての最大の謎でもあります。家族や人類の愛と言ってしまえばそれまでのような気がして。じゃあ、またね。


▲今日は君と一緒。
▲今日は君と一緒。

2016年3月7日(月)

先日、封切された「オデッセイ」(原題は「The Martian」~監督は「ブレードランナー」や「エイリアン」、「グラディエーター」で知られるリドリー・スコット、主人公は一連のボーン・シリーズのマット・デイモン)を見てきました。

火星探索後、嵐が来て、クルーの一人が事故に遭い、「もうだめだ」と思った部隊は、母艦へ向かってしまいます。たった一人取り残された主人公のサバイバルのお話。最後まで、一気に見せてくれました。

このようなシチュエーション・ドラマは、「透明人間の告白」(前に書きました)のように、「自分だったらどうするだろう?」と置き換えて考えられるかどうかで、面白さも随分と変わってしまいます。SFの映画化は、出てくるものもいかに「ありそう」と思えるかも重要です(NASAの研究チームの協力もあったそうです)。

生き延びて必ず帰るといったポジティブさ、残されたもので工夫して水や食料(イモの栽培)を作っていくところも、なかなかでした。そして、幾度となく発生する危機にはらはらどきどき…。

さて、船長の趣味の70年代のディスコ・ミュージックの音源が残されていて、BGMとして随所で流されます。ウェブを探ると、試写会の感想が語られているページがあって、高田馬場駅近くにあったディスコで流れていた曲の話がありました(ビルは残っていますが現在は事業所に)。

ビレッジ・ピープル(1977~1985年、1987年に再結成)の「Y.M.C.A.」(1978年、日本では西城秀樹が「ヤングマン」としてカバー)で、みんなでおんなじ振付したりしていました。

様々なシーンで意味のある使い方がされていたのですが、とりわけデビット・ボウイ(1947~2016年)の1972年のヒット曲「スターマン」が印象的でした。

♪~Didn’t know what time it was the lights were low.~♪

じゃあ、またね。