●鎗ヶ崎(やりがさき)わんこ通信

・鎗ヶ崎は、taulliのあるヒルズ代官山のすぐ目の前の交差点の名前です。

・日々のできごと、季節の移り変わりなど、感じたこと、思うことを、助手のわんこ(JoshといとこのPeter)がお送りします。

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鎗ヶ崎わんこ通信 2016年10月

鳩
▲どこかで、音楽流している?

2016年10月15日(土)

♪~I’m not in love/So don’t forget it/It’s just a silly phase I’m going through~♪ 10CC(1972年結成、二度の解散、再結成を経て現在に至る)の「I’m not in Love」(1975年)。「僕は恋なんかしていない。君に電話するけど、誤解しないで」と何度も言われると、「結局、それって恋じゃない?」と突っ込みたくなる曲です。

 例えて言えば、練習しても、ちっともうまくならないギター。「だから、ギターは嫌い」と言いながら、結構な時間をギターと共にしている…そういう心境でしょうか。

 様々な技巧の上に、深みと感動を与えてくれるジャズギターは、さらに「嫌い」な分野です。だから、一時期、ジャズギターのアルバムにはまっていました。最近、院長がオムニバスの「ジャズ・ギター・アンサンブル」(3枚組)を購入していたので、そんな複雑な心境だった自分を思い出しました。

 ウェス・モンゴメリー、ケニー・バレル、バーニー・ケッセル、ハーブ・エリス、ジョージ・ベンソン、パット・メセニー、ラリー・カールトン、ジム・ホール、B.B.キング、アール・クルーなどなど…随分と聞きまくっていたものです。

 学校で教わったハーモニカや縦笛以外で、自分が手にした唯一の楽器がギターでした。一家が音楽家(演奏家)で、サックスプレーヤーが一人でもいたら、好きな楽器は管楽器となっていたことでしょう。じゃあ、またね。


夕焼け@鎗ヶ崎わんこ通信2016.10.4
▲スムーズ・ジャスが聞こえてきそう。

2016年10月4日(火)

♪~Katy tried. I was halfway crucified. I was on the other side of no tomorrow.~♪

スティーリー・ダンが1975年にリリースしたアルバム「うそつきケティ」の中でも、とりわけ気に入っているアップテンポなナンバーの「Doctor Wu」。この曲も、幻想の中にいる主人公の心を綴った、例によって難解な歌詞です。70年代半ばにメンバーの一人ウォルター・ベッカーのドラック中毒の治療にあたったハーバード卒で鍼灸医、かつ、ヒーリング・アートの画家でもあったドクター・ジン・ニュアン・ウーをモデルに書かれたとのことです。

幻想といえば、夢のようだった「東京ジャズ」の続きです。

我が家のジャズ・コレクションの中での日本人プレーヤーは、サックスのナベサダこと渡辺貞夫(1933年、栃木県出身)、ギターでは渡辺香津美(1953年、東京出身)、ピアノでは上原ひろみ(1979年、静岡県出身)となります。両渡辺は「東京ジャズ」で懐かしい演奏を聴くことができました。

学生時代、我が家にTVは1台しかなくて、自室にはラジカセしかなかったので、FM東京で毎週放送されていたナベサダの番組「マイ・ディア・ライフ」を欠かさず聞いていました。そこでの共演を聞き、お二人のアルバムを買い漁ることになったわけです(「マイ・ディア・ライフ」は1972~1989年までの放送。その後、1999年から「Nighty Yours」と名を変え現在に至っています)。

当時、私が所有していた録音機材はカセットレコーダーだけでした。また、リモートや予約機能も付いてなかったので、放送を録音するにはリアルタイムでレコーダーの前にいなければなりませんでした。当然、生活は番組をベースに組み立てることになります。FEN(1997年までの極東放送網の略称、現在はAFN)はもとより、若山弦蔵さん(1932年、樺太出身)や糸井五郎さん(1921~1984年、東京出身)、城達也さん(1931~1995年、大分県出身)らがMCを務める音楽番組だけを欠かさず聴いていました(ちなみに勉強のために聴いていたラジオ番組はNHKの「続基礎英語」~現在は「基礎英語2」に名称を変更~)。

好きな番組のある日は、友達とも約束をしないで、即自宅に帰り、夕飯を食べるやいなや自室にこもって、番組開始時にレコーダーのスイッチを入れて、勉強や読書となります。

「マイ・ディア・ライフ」は、短いMCの他は全てライブ演奏(或いはコンサートの録音)だったので、スタジオやコンサート会場を思い描きながら聴き入っていました。ナベサダや招待された方々の演奏は、スタンダードからフュージョンなど幅広いものでしたが、基本的に前向きで明るい感じの曲が多かったように思います。だから、今のスムーズ・ジャズもしっくり来たのね。私のジャズ道のルーツのお話ということでした。じゃあ、またね。